島根県大田市大森町──別称・石見銀山。
石見銀山遺跡とその文化的景観が
世界遺産となったこの町の
知られざる魅力は、人々の暮らしにある。
石見銀山の十人十色の暮らしを知ることができるローカルフリーペーパー『三浦編集室』は、古きよき町歩きのお伴にぴったり。その誌面を制作するオフィス「根のある暮らし編集室」はさまざまな人が行き交う場でもあるので、旅先で偶然の出会いが生まれるかもしれない。
『三浦編集室』
「根のある暮らし編集室」
この記事では「根のある暮らし編集室」と『三浦編集室』について、編集長の三浦類さんに教えていただいた。石見銀山を観光する際に、ぜひ立ち寄ってみてほしい。
- 三浦類
- 1986年名古屋生まれ、島根県在住。石見銀山大森町の暮らしを伝えるフリーペーパー「三浦編集室」の編集長。石見銀山生活観光研究所・群言堂の根のある暮らし編集室に所属。
暮らしとつながる交差点
「根のある暮らし編集室」を訪ねる
三浦類さんが働くデスク
石見銀山・大森町の大通りの群言堂本店の向かい側にある「根のある暮らし編集室」。
ここは大森町の暮らしを伝えるフリーペーパー『三浦編集室』をつくる編集長の三浦類さん、製作スタッフの木村とも子さんをはじめ、制作に携わるスタッフや町の人々が行き交う場。
グレーを基調とするねずみ漆喰の壁、学校で使われていたであろう黒板。
扉を開けると、一般的なオフィスよりもくつろいだ雰囲気の空間が広がる。
月曜日から金曜日までの平日の日中、彼・彼女たちが町のまんなかで働いている。
町を暮らしを発信する拠点
根のある暮らし編集室ができたのは、2019年のこと。この場所を運営する石見銀山生活文化研究所・群言堂は、服、宿、飲食などの事業をとおして、生き方や暮らし方を提案している。
ものづくりだけではなく暮らしの現場である石見銀山の大森町は、いわばブランドの根幹。日々、この土地で暮らしを楽しみながら、自分たちが心地よくいられる暮らし方を考えている。石見銀山から生き方や暮らし方を発信していくために立ち上がったのが根のある暮らし編集室だ。
「町民の方々の暮らしに近い町並みのまんなかに拠点を持ってこの町の暮らしを発信する場所を作ろうという動きで、根のある暮らし編集室ができました。設立時のメンバーは、この町の暮らしている若いスタッフたち。主に鈴木(良拓)くん、俊(伊藤俊一)くん、小森さん、三浦という4 人がグループ化して、この地で続いてきた根のある暮らしというものを深掘りすることになりました」
【島根県石見銀山・観光】循環型の農業に触れる旅|小さな森のような畑 SUZUKI FARMS・鈴木良拓
根のある暮らしというのは、石見銀山で営まれてきた暮らし方のことを指す。身の回りにある環境、日常のなにげない出来事を楽しみながら、身の丈にあう地に足のついた暮らし。それを“根のある暮らし”と呼んできた。
訪れる人と住民の接点に
初めて石見銀山を旅する際に、根のある暮らし編集室に入っていいのだろうか。「ここは訪れる人と暮らしがつながる場でもあるから、ガラガラと扉を開けて、気軽に入ってきていいですよ」と三浦さんは笑う。
「暮らしの中で自然に人と交わるような場所でありたい。この町を訪れた方にとって、住民の暮らしとの接点になれればいいなと思ってます。僕らはここで暮らしながら働いてるからこそ繋げられます」
「たまたまここに誰かが訪ねてきて、別の目的で立ち寄った人がここにいたりして、会話のなかで接点が生まれることも多いんです。『あ、東京からなんですか?』『〇〇さんは東京から移住したカメラマンさんですよ』とか、そういう話に発展したりする。すると、この町って東京から人が移住してくるような土地なんだな、クリエイターが心地いいと思えるような場所なのだって、この町に対する認識が新たに生まれたりするのかなと」
訪れた方の関心に寄り添った暮らしのアクティビティにつなげてくれるのも、三浦さんが居る根のある暮らし編集室の特長だ。
「『今度窯で竹炭を焼くんですけど、しばらく滞在してて時間があれば一緒にどうですか?』ってお誘いすることもあります。ここに来てもらえたら、もしかしたらそういう偶然もあり得るかもしれないですね」
石見銀山の暮らしに触れられる『三浦編集室』をお伴に
石見銀山大森町発のローカルフリーペーパー『三浦編集室』とは
根のある暮らし編集室に訪ねるもう一つの魅力は、なんといっても『三浦編集室』を配布していることだ。
2014年、群言堂の広報誌としてスタートした『三浦編集長』。町の暮らしを一人の住民の視点で描いた誌面は石見銀山大森町発のローカルフリーペーパーとして定着し、3000部から始まった発行部数は25000部へと成長。群言堂の大切にするものづくりの現場・大森町の暮らしを住民目線で伝える誌面は「理念の広報」の役割を果たしている。
2019年には大森町でともに暮らす仲間たちや町に関わりを持つ人たちと、より多くの視点から町の暮らしを描いていくために『三浦編集室』へとリニューアルした。
楽しみながら一緒に暮らす、仲間と暮らしを描く
リニューアルすることで変化したのは根のある暮らし編集室チームが立ち上がり、書き手が増え、大森町で暮らしを楽しむ若者の連載「ちいさな森のような畑から」「俊's Bar 」がスタートしたこと。
「ちいさな森のような畑から」「俊's Bar 」の誌面
「鈴木くんには、彼の実践してる持続可能な農業を誰から見ても分かりやすいように描いてもらいました。三浦編集室の誌面で、彼の考える畑作りのおもしろさを広く感じてもらえたらと思って連載をお願いしてましたね。この土地でいかに好きな食を楽しむかすごく工夫していた俊くんには、彼が実践しているライフスタイルについて書いてもらってきました」
大森町の暮らしをチームで発信するようになって3年。三浦さんは「移住してまもない頃よりも一緒に暮らす仲間が増えた実感が湧いてきた」と話す。
「同年代ぐらいの、いろんな経験を一緒に楽しみながら暮らせる仲間ができたこと。仲間の暮らしを誌面で描けるようになったことに充実感を感じていました。それこそ俊くんや鈴木くんの暮らしを発信できる場になったことがこれまでと全然違うことだと思ってます」
『三浦編集長』から『三浦編集室』へとリニューアルすることによって、もっともやりたかったことは石見銀山で育んできた人とのつながりや人間関係を描くことだった。
「大森町って本当に小さな町ですけど、いろんな人がこの町にやってきて、そういう人たちと非常に仲深く、繋がりができる。なかなか経験できないようなご縁がたくさん生まれる場所なんですよ。クリエイターであったり、地方でおもしろいことをしている人であったり、そういう人たちとのご縁をいただける場所なんだというおもしろさも描きたいので、これまで出会った人たちの現在地を伺うゲストコーナーをつくってきたんですね」
この地に関わる全ての人の幸せと誇りのために復古創新というモノサシで美しい循環を継続していきます──。『三浦編集室』は、発行元である株式会社石見銀山生活観光研究所の理念を体現しているように思える。
「群言堂という言葉の意味は、いろんな人の関わり合いの中で、ああでもないこうでもないとワイワイ発言しながら、よい流れをつくっていくことなんですね。いろんな人の意見が集合体となっているのが群言堂だと思うので、話面は群言堂を体現しているようなものにしていきたいですね」
2021年からは『三浦編集室』の制作補助をしている木村とも子さんをはじめ、新たなメンバーとともに誌面の制作が始まった。
「俊くんや鈴木くんが別の部署に異動したりして中心メンバーがいなくなって『あれ、どうしよう』と思ったんですけど、 これからは地元の人たちがこの町でどんな暮らしを持っているのか?というところにタッチしていきたいなと気持ちを切り替えて取り組み始めたところです」
【島根県石見銀山・観光】大森町で暮らすように旅する、最高の一日の過ごし方|群言堂スタッフ・木村ともこ
誌面作りは石見銀山・大森町のアーカイブづくり
三浦さんの話を聞いていくうちに、石見銀山に関わりのあるあらゆる人々が誌面に登場する未来を想像できた。
「誌面づくりは、この町のアーカイブづくりだと意識してつくるようにしています。三浦編集室を毎号積み重ねていくことで、あとから見返した時に、こういう人がいたね、こういうことを語ってたね、あのときはこういう暮らしをしてたんだねって、10年、20年経ったときに分かってくる。社会がデジタル化してる中で、あえて古文書みたいに記録を取ることは本当に少なくなっているし、Web上でもサーバーからデータが消えたら記録は残らないですよね。だからこそ、紙でつくって残していくのは、のちのちきっと意味があるだろうと思っています」
石見銀山を旅する魅力は、町民の「ものの見方」に触れること
大森町のほぼ中心にある根のある暮らし編集室で、日々『三浦編集室』を制作しながら、町の暮らしに触れてきた三浦さん。彼には石見銀山のどんなところが光り輝いて見えるのだろう。
「町の人が『不便だ』とか『何かがない』と不平不満を言って暮らしてるんじゃなくて、当たり前に身の周りにある環境、ちょっとした出来事に価値や楽しみを見出して暮らしている。そういう姿を見たときに、すごく光を感じますね」
見る人が見れば、何もない山。視点が変わると宝の山
ちょっとした出来事に価値や楽しみを見出して暮らしているとは、どういうことなんだろうか。
「地元のおじさんたちが山の中とか道端に生えてるものを採って、喜んで人にあげたりする。たとえば、鬼村さんというおじさんは山に生えているササユリを採ってきて、登美さん(石見銀山で暮らす群言堂の創業者)に『ハイ!』ってあげたりするんですね。
素敵じゃないですか? こんな野花が山の中にあるんだっていうのを僕らは知るし、『今度連れて行ってください』って、一緒に行って教えてもらったり。そういうのがめちゃくちゃ僕は楽しいですね」
「見る人が見ればなにもない、ただ山があるだけのところなのに、視点が変わることによってすごい宝の山になって、しかもそれが人を喜ばせるし、その人たち自身も楽しめている。そういうのって本当に目線次第!って思うんですよ。ものの見方次第で身の周りにあるものが輝いて見えてくる。町の方々が暮らしを楽しんでいるところが素晴らしいなって思いますね」
石見銀山移住後、狩猟免許を取得し、冬季に猪を狩ることも
石見銀山への旅で、暮らしを楽しむヒントを見つける
三浦さんがまだ石見銀山に移住する前の学生時代のこと。一か月間、石見銀山に滞在した際に、町民の方々が三浦さんを食事に誘ったり、温泉に連れて行ったり、子どもたちと一緒に海に遊びに行かないかと誘ったりした。当時を振り返り、「地元の人たちが当たり前にしていることの中に混ぜてもらえたことがすごく嬉しかった」と三浦さんは話す。
「旅先であっても、誰かの暮らしの一部分に一緒に居させてもらえると、自分の暮らす姿がちょっと想像できる。それは暮らしを楽しむヒントになる気がするんですよね」