ここにいると“住民”になれる「湯るり」
はじまりは「湯るり」。築145年の古民家のゲストハウスで、2017年にオープンした。
温泉津町の温泉街を歩いていると、ひかえめな入り口が見える。
引き戸を開けると、大きなソファ、右側にはこじんまりとしたお座敷。筆者が訪れた際は、浴衣を着た宿泊客が本を読んでいた。
『湯るり』は、個室があるゲストハウス。自分のプライベートも確保しつつ、誰かと交流したいときはリビングでも過ごせる2名まで泊まれる部屋「華|HANA」。
1人専用の「風|KAZE」
こちらも1人専用の部屋「森|MORI」。「風|KAZE」より広い
最大4名泊まれる「雲|KUMO」
「湯るり」を手掛けたのは、近江雅子さん。現在、温泉津町で4棟もの宿を展開している。
近江さんが温泉津町に引っ越してきたのは、いまから9年前。お坊さんの旦那さんと一緒に、お寺のお勤めに邁進しつつ、地域の催しにも積極的に顔を出していたという。
「歴代住職たちが積み重ねてきた信頼の上に、私たちは迎えられていると感じていました。それに主人と常々『お寺を盛り上げるということは、その地域を盛り上げること』だと話していて。だからボランティアやお祭りにも必ず参加するようにしていました」
日々、お寺の仕事を通じて、温泉津町の未来と自分や家族の未来を重ねるようになった近江さん。そのうち、お寺と行ったり来たりしながら自分にできることは何かを、考えるようになった。その末に辿り着いたのが、宿泊業だったという。
「湯るり」ができてから、約5年ほど経ち、温泉津町には新しい活気が生まれ始めていた。今まであまり見かけなかった、30〜40 代のお客さまが少しずつ増え始めたのだ。
「私はよく、お客さまに近所の方をご紹介します。小さい町だから、歩いていると何回もお客さんと地元の方がすれ違ったり、あいさつしたりするんですよね。すると『○○さん、どこに行ってきたの?』って声をかけられたりします。
そういうやりとりが自然に生まれると、お客さまは町内の住民になったような感覚になるみたいなんです。その結果か、リピーターも増えていきました。近所の方も、リピーターさんには『お帰りなさい』って声をかけてくれることもあります」
地域の人々が自然体だからこそ生まれる居心地の良さゆえに、温泉津町に移住するにまで至った人もいるという。
「去年(2021年)の2月に『湯るり』に泊まってくださったお客さまが、毎月来てくれるようになって。最近、温泉津に移住すると決めたとおっしゃっていました。だから今は家探しの相談に乗ったり、畑をやりたいと言うから畑探しを一緒にやったりしています」
「近江さんが町の案内人なんですね」と筆者が言うと、近江さんは笑顔でこうおっしゃった。
「私じゃなくて、町の方々が、おもてなししてくれて、私はその間をつないでるっていうだけですよ。お客さまと、町の人たちをつなぐ役割っていうか、お客さんが町に馴染みやすくなるといいなと思っているだけです」
最大4名泊まれる「海|Umi」。火山灰が堆積してできた福光石で作られた照明が、やわらかいあかりで室内を照らす
海は2名まで
ゲストハウスというと、安い宿泊料で若者向けのにぎやかな施設というイメージが先行してしまうかもしれない。けれど「湯るり」に、そういった雰囲気はあまり感じられない。
「湯るり」の公式サイトには、「暮らすように泊まる」というコンセプトが書かれている。
暮らしには、常に驚きや感動、ドラマティックな出来事があるわけではない。地味で、とりとめもない時の流れの重なりが日常の暮らし、そのものでもある。
旅や観光という特別な時間の中で、「湯るり」はホッと一息つける、止まり木のような場所なのだ。だからこそ、自分がこの町に暮らしているような感覚を覚え、実際に移住まで心を決める方もいる。
「現在4棟の宿泊施設を運営していますが、私は『湯るり』にいることが一番多いです。落ち着くし、私にとってベースになる宿だと思っています」