群言堂がものづくりをする島根県では、都会にはあまりなじみのない日々の楽しみ方があります。
たとえばそれは仕事の帰り道や散歩の途中で、道端に咲く野の花を摘んで帰ること。何気なく咲いていて見過ごしがちな草花も、部屋に飾ると意外なほど愛おしく感じられるものです。
群言堂がものづくりをする島根県では、都会にはあまりなじみのない日々の楽しみ方があります。
たとえばそれは仕事の帰り道や散歩の途中で、道端に咲く野の花を摘んで帰ること。何気なく咲いていて見過ごしがちな草花も、部屋に飾ると意外なほど愛おしく感じられるものです。
日々の暮らしを心豊かな時間にするものを届けていきたい。
そんな願いを込めて、石州嶋田窯さんと共に、暮らしを彩る日用品を二人三脚で作っています。
島根県の石見地方で採れる土は、高温焼成により焼き締まるため塩分に強く耐水性や耐酸性を備えており、その陶土を生かして水がめなど保存用の日用品をつくってきました。伝統工芸品にも指定される石見焼をつくる石見地方は、その作陶技術をもとに現代の暮らしに沿った実用的な陶器を作る産地です。
そんな石見焼の窯元・石州(せきしゅう)嶋田窯さんとのお付き合いが始まったのは、「しのぎマグカップ」を作っていただいた頃。島根県江津(ごうつ)市で1935年に開窯された嶋田窯は、石見地区の陶土を機械でろ過するなど、素材からこだわりを持つ石見焼の窯元です。
4代目の嶋田健太郎さんは器などの小さな陶器を中心に技術を磨き、5代目の瑠晟さんは石見焼の伝統工芸である大瓶づくりにも挑戦
嶋田窯さんとの挑戦的なものづくりが「野の花に捧げるピッチャー」です。
ピッチャーは生活必需品と言えるものではありません。それでも多くの陶芸家たちがピッチャーを作るのはきっと、美しい道具だから。
取っ手や曲線が動物を思わせるような造形で、棚に置いてあるだけでも見入ってしまう。特に買ってきた花ではなく、自然からいただいた野の花を家族が暮らす景色に添えるとき。
その花にピッチャーという暮らしの一部を捧げることで、暮らしと、自然の美しさが重なり合います。ピッチャーにいきいきとした花や緑が飾られ、あらたな景色が生まれるでしょう。
野にあるものを野にある姿のまま暮らしに添えると、その美しさに改めて気づき、心が満たされる。そんな暮らし方に寄り添うために作られたのが、野の花に捧げるピッチャーです。
作陶の現場では、手製の測りでサイズを計測しながら一つひとつを成形。きめ細かいためへたりやすい石見地方ならではの粘土の塊をまっすぐに伸ばし、丸みをおびるように膨らませてゆきます。
成形した土台を乾燥させた後、鎬(しのぎ)と呼ばれる装飾を施します。鎬を入れる深さを確かめながらヘラで均等な幅に削っていくことで、凛とした佇まいに。
四代目・嶋田健太郎さん:
「細かいことをやると、それだけ手がかかるけえ。勘で適当に掘るだけのように見えるかもしれないけど、よっぽど経験を積まない限り、しのぎが斜めに入ったりする。勘こそいい加減なものはないけえ」
一つひとつに丹精を凝らして作られる陶器は、この世に一つしかない絵画のよう。伝統と自然の巡り合わせと、ひたすらに手を動かし作り続けてきた職人の時間。それらが重なり合って生まれた陶器の数々に、心を奪われずにはいられません。
四代目・嶋田健太郎さん:
「うちらがしとることは特別なこととは思わんけえ。都会の人から見たら、すごいことのように見えるかもしれんけど、ただ自然に作っとるだけで。手を動かすのが好きやから、ものを作って気に入って使ってくれる人がいれば、それでええ」
野の花を捧げるピッチャーは電気窯で焼き上げていますが、嶋田窯では代々受け継がれてきた登り窯でも作陶しています。登り窯で焼成(しょうせい)する特徴は、薪から出た灰が窯の中の器に降り注ぎ、溶けて自然発生的なガラス質の釉薬になること。
釉薬は自然の炎によって変化し、独特の風味を醸し出します。ひとつひとつの表情や佇まいにも自然のゆらぎが感じられるのが、この製法の魅力です。
四代目・嶋田健太郎さん:
「釉薬は濃度や焼成温度で色の味わいは変わるから、同じ窯でやっても色味については振り幅があるよ。登り窯のどこに入れるかでも変わってくるものだから『それと同じものをください』と言われても難しいけえ」
薪を使って焼く登り窯は一度焼き始めると、何人かの窯焼職人を必要とするほど、数日にわたり昼夜を続けて焚き続けなければなりません。長時間火の面倒をみる必要があるため、全国的にも登り窯を使う工房は少なくなっているのが現状ですが、嶋田窯さんは親子3代で登り窯の火を守り続けています。
技を受け継ぐ3代目、4代目、5代目の3人体制だからこそ、炊きあげるまでに大変な労力のかかる登り窯を年に5回も稼働させることができる。これは昨今では珍しく、近隣の窯元には「嶋田は後継者がいて羨ましい」と言われるのだそうです。
三代目・嶋田孝之さん:
「職人として50年やってきました。もう孫と一緒に作っとるけえ。そろそろ引退してもいいかな(笑)。1人でも手が欲しいから、孫に手取り足取り仕込んどるけえ。昔の“見て学べ”というやり方をしておったら『こんなもんやめた』ってなるんよ。作陶のための原料も、登り窯のための松の薪も少なくなってきた。登り窯がかろうじて焚けるくらい、窯元はこれから大変になってくるだろう状況やけえ。孫がやってくれとることが有り難いよね。ただそれだけよ」
四代目であり父・嶋田健太郎さんの話を聞き、メモを取る五代目・瑠晟さん
10年後には、石見地方においても登り窯で作陶する窯元が姿を消しているかもしれません。
代々受け継がれてきた地域の文化と技術を絶やさないためにも、群言堂は嶋田窯さんと共にものづくりをしていきたい。
嶋田窯さんと共に作りあげた道具たちが、あなたの日常にぬくもりと美しさを添えてくれることを願っています。
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