プロボローネ | 風土、いただきます vol.3

「すこやかな食」を願う心が生んだ絶品チーズ

旬の味覚を味わうとき、見えてくる風景がある——。この里山の風土に息づく味な物語を訪ねるシリーズ第3回目は、プロボローネ。他郷阿部家の秋冬の名物メニュー「里芋の玉みそグラタン」には欠かせないチーズです。製造元は奥出雲の木次乳業さん。「経済効率よりも、すこやかな食を」との思いで、日本初のパスチャライズ(低温殺菌)牛乳を世に送り出した存在です。私たちは、その志が色濃く息づくチーズづくりの舞台裏を訪ねました。

ほんのり燻製香が漂うイタリアの伝統製法チーズ「プロボローネ」

小野寺
「プロボローネ自体は1年中手に入るチーズで、そのまま食べてもおいしいんですが、やっぱり焼いて味わうのが最高なので、ここでは里芋がおいしくなる秋以降に登場させています。このプロボローネのほかにカマンベールや、朝食でお出しする牛乳も木次乳業さんのを使わせていただいています。実はうちの妻が牛乳嫌いなんですが、木次乳業さんのなら飲めるんですよ」

木次乳業さんの自社牧場にも見学に行ったことがあるという小野寺。広々とした山間地でゆったりと放牧された牛たちの穏やかな表情が印象的だったとか。経済効率最優先の大量生産システムとはひと味もふた味も違う、そのものづくりの現場を訪ねて、私たちは奥出雲をめざすことにしました。

阿部家料理人・小野寺拓郎のレシピ

他郷阿部家の厨房に受け継がれる「里芋の玉みそグラタン」。黒土の産地で育った良質の里芋をホクホクに蒸したら、みそ、砂糖、卵黄、みりん、酒をよく練ったタレと生クリームで和え、プロボローネの薄切りをのせてオーブンへ。現在は、小野寺自身が厨房で仕込んでいる自家製みそを使っており、まろやかなコクにも一層磨きがかかっています。

牛乳本来のおいしさを生かした「パスチャライズ牛乳」とは?

群言堂の本店から車を走らせること約1時間。雲南市の木次乳業さんにたどり着きます。木次乳業さんのパスチャライズ牛乳といえば、島根では学校給食でもおなじみの存在。この日、私たちを迎えてくださった同社営業部の大家(おおえ)崇さんも、この味で育ったひとりです。

大家さん
「私は生まれも育ちも雲南で、ずっと木次牛乳を飲んでましたけど、当時は比較するものもないから、これが普通だと思っていたんですよね。大学で地元を離れて、よその牛乳を飲んでみて初めて、“昔飲んでたあの牛乳って、おいしかったんだ” と気づきました」

日本国内で流通している牛乳は、120℃以上の高温で2〜3秒殺菌したものがほとんど。しかしこの方法だと、殺菌と同時にたんぱく質が熱変し、カルシウム吸収率が下がってしまうほか、かすかに焦げたような匂いもついてしまいます。そのことに疑問を抱き、1970年頃から当時欧米で主流だった「低温殺菌牛乳」の研究を始めたのが、同社創業者の佐藤忠吉さん。ご自身の体を実験台にしながら、おいしくて安全に飲める牛乳を追求し、70年代半ばにようやくパスチャライズ牛乳の販売にこぎつけたのです。

農家の息子として育ち、1955年に仲間たちと牛乳処理販売業を立ち上げた佐藤忠吉さんは、一生を通して土に根ざした「百姓」であることを追求した気骨の人。日本でいち早く有機農法の研究に関わったメンバーのひとりでもあります。103歳の長寿をまっとうされ、2023年に惜しまれながらこの世を去りました。

大家さん
「酪農を中心に、地域の自給率を上げる小規模多品種の農業を、できるだけ環境や人にやさしい方法でやりたいというのが佐藤忠吉の思いでした。うちのチーズは、そんな忠吉の理念がとくに色濃く出ている商品だと思います。原料となる牛乳を1/10ぐらいまで凝縮したのがチーズですから、やはり牛乳の質がそのままストレートに反映されるんです」

いざ、「忠吉イズム」を受け継ぐチーズ工房へ

近隣の酪農家さんたちと手を取り合い、良質な牛乳づくりに取り組んでいる木次乳業さんですが、チーズ用には、その中でも選り抜きの生産者さんの生乳だけを使用しているそう。さらに看板商品であるパスチャライズ牛乳が「65℃で30分」という殺菌方法であるのに対し、チーズに使うのは、より搾りたてに近い「ノンホモ牛乳」。殺菌は72℃で15秒のみで、ホモジナイズ加工(脂肪球を小さくする均質化加工)をほどこしていないものです。

よかったら飲んでみてください、と大家さんに差し出された「ノンホモ牛乳」。甘みがあって飲み口は意外なほどさっぱり。牛乳嫌いの人が気にする「牛乳くささ」を感じさせません。

大家さんに案内されて、チーズづくりが行われている工房にお邪魔してみました。すると、ゆるいミルクゼリー状のものが、大きなステンレス槽を満たしているのが見えます。製造を担当する職人の川島直幸さんによると、これは当日朝に牛乳に乳酸菌を加えて発酵させ、さらにレンネットと呼ばれる凝乳酵素を加えたものだとか。川島さんはこれを特殊なカッターを使って約1cm角のサイの目に切り分けてゆきます。

ピアノ線を四角い枠に張った大きなカッターを両手で持ち、槽に沿ってぐるりと回りながらゼリー状になった牛乳を切り分けます。

全体をサイの目に切り分けたものは「カード」と呼ばれ、これがさまざまなチーズづくりの出発地点になります。次に川島さんは、槽の中を木のヘラでやさしく撹拌。乳酸発酵が進み、収縮によってカードから水分が抜けていくのを、こうやって手助けしてやるのです。

川島さん
「カードを壊さないようにやさしく、でも全体をまんべんなくしっかり撹拌して、ひとつひとつのカードの水分量をできるだけ均一にするのが大事なんです。まだ僕が入社する前に、自動攪拌機を試したこともあったらしいんですが、機械だとカードがぐちゃぐちゃになってしまうので、結局手作業に戻したと聞いています」

撹拌を続けるほどに、ゆるゆるだったカードが、しっかりと濃厚な質感に変わってきます。

この水抜きはなんと1時間ほどもかかる地道な作業。カードの発酵を促進するため、ステンレス槽には徐々に熱が回り始め、やがて温度は45℃に達します。つきっきりで作業する川島さんの額に、うっすらと汗がにじんでゆきます。

こうして丁寧に丁寧に水抜きされたカードは、約2時間ほど寝かせるうちに、よりしっかりした大きな塊(工房ではこれを座布団と呼んでいます)に変わってゆきます。

「失敗のない人生は、失敗である」そんな教えはこんなところにも

「午後の作業が始まるまでの間、ちょっと提携牧場にも行ってみましょうか」。そんな大家さんのお誘いに「ぜひ!」と答えた私たち。でもその前に、大家さんがちょっと面白い場所に案内してくださいました。それは工場の裏山に掘られた、大きな洞窟。内部には巨大な石ががっしりと組まれて、広々とした空間を保持しています。

入り口の立派さに驚き、中に入ってさらにびっくり。忠吉さんの本気度が伝わってきます。

大家さん
「ヨーロッパではこういう洞窟でチーズを熟成させたりしますが、佐藤忠吉はそれをここでも再現しようとしたんですね。でもヨーロッパと違って日本は湿度が高いので、チーズがカビだらけになって、結局大失敗に終わったそうです(笑)。でも“失敗のない人生は、失敗である”というのが忠吉の信条でしてね。こういう実験精神というかチャレンジ精神も、まさに忠吉イズムだと思います」

傾斜の多い山間地で、自らが理想とする放牧を実践するために、世界中の牛を調べて歩き、ホルスタインより足腰の強いブラウンスイス種をわざわざ輸入したというエピソードも、そんな忠吉さんらしい生き方を物語っています。そうやって自社牧場で培った知識や技術を、今では近隣の酪農家さん支援にも役立てている木次乳業さん。この日私たちが向かったのは、そんな木次乳業さんの後押しを得て10年前に開業した、奥出雲町の「ダムの見える牧場」さんです。

若手酪農家の牧場に広がるのは、「10年かけて牛がつくった風景」

尾原ダムを見晴らせる山に広がる、この牧場。かつてはダムの残土処理場だったこの土地を牧場にしようと立ち上がったのが木次乳業さんで、その牧場主の公募に手を挙げたのが、当時まだ20代だった新規就農者の大石亘太さんでした

大学の農学部生だった頃からすでに「山間地放牧」の世界に魅せられていた大石さん。木次乳業さんでの酪農研修を経て開業し早10年。今ではさまざまな賞に輝き、全国から注目されている酪農家です。

ブラウンスイス種やホルスタイン種、ジャージー種など、約40頭を飼育するこの牧場では、四六時中、牛舎は開けっぱなし。朝の搾乳を終えると牛たちは好きな場所で草を喰み、夕方になるとまた張ったお乳を搾ってもらうために、放っておいても牛舎に戻ってくるそうです。また一般的には、乳牛は乳生産量がピークを過ぎる6〜7歳ぐらいでお役御免となり、食用肉になるケースが多いものですが、この牧場では牛たちにできるだけ天寿をまっとうしてもらうようにしているそう。生育環境、乳の品質、遺伝子組み換えでない餌を使っていることなど、どれをとっても木次乳業さんにとっては理想のパートナー生産者です。

チーズ用の生乳はホルスタインから搾ったもの。

大石さん
「昔はここら一面、竹に覆われていたのを切り開いて、牛を放って、10年経ってようやくこの景色になりました。牛が筍を食べるので、竹林が自然と後退していくし、牛は列をなして歩く習性があるから、自然と土が踏み固められて、けもの道ができるんです。だからこれは、“牛がつくった風景”です」

「借金も相当したけれど、目の前にこういう景色がつくれたことには満足しています」と語る大石さん

緑豊かな山々に、牛たちが点在するのどかな風景。この眺めを目の前にすると「牛を扱える人がいれば、耕作放棄地問題や竹林の問題も解決するんです」という大石さんの言葉が、リアリティを持って胸に迫ってきます。

大家さん
「搾乳できるような一軍の選手を放牧するというのは、経済的にいうと効率が悪いんです。普通は牛舎につないで飼って、ハイカロリーな餌をどんどん与えて乳量を増やそうとするところ、放牧だと牛の運動量が増えて、同じ量の餌を食べていても乳量は減ってしまいますから。そんな中で大石くんは、こういう健康な牛を育てる酪農がいいと思ってやってくれている。ありがたいですよね」

想像以上に手仕事のたまものだったプロボローネ

爽やかな牧場の空気に、英気をたっぷりチャージされたような心持ちでチーズ工房に戻ると、午後の作業がちょうどスタートするところ。水抜きが進んで大きな塊になった「座布団」を切り分け、それを熱湯の中で揉むのです。

まるでキメの荒いおぼろ豆腐のようだった「座布団」も、70〜80℃の熱湯に入れると、まるでお餅のようにやわらかくなり、人の手で揉むほどに伸びのよいなめらかな質感に変わっていきます。

川島さん
「こうやって揉むことでプロボローネ特有の粘りが出ます。そしたらタイミングを見計らってチーズを熱湯から上げ、1個ずつの重量を計って切り分けて、型に入れて成形するんです。これは時間との闘いなので、手が空いているスタッフ総がかりでやります」

待ったなしの温度変化に追いかけられながらの、数人がかりの作業。誰もが無言のうちに、一糸乱れぬ連携で手早く仕事を進め、白く丸いチーズの塊が次々とできてゆきます。これらの塊は、1日塩水に漬けたのち、丸1日かけて乾燥。そして桜のチップで全体をスモークしてから、乾燥防止のワックス(蝋)をかけ、約1ヶ月熟成させるのです。

スモークを終えて熟成中のプロボローネ。スモークチップには、近隣の桜の名所「木次のさくらトンネル」で出る不要な枝を利用しています。

一連の流れを知ると、なんと手の込んだチーズかと改めて実感。木次乳業の皆さんがここを「チーズ工場」ではなく「工房」と呼ぶ意味も、よくわかります。創業者・佐藤忠吉さんの思い。それを受け継ぐ酪農家さんたちの思い。そして工房で働く職人さんたちの思い。脈々と続く誠実さのリレーが、このおいしさをつくっているんだな。そう思うと、両手にすっぽりと収まるほどのプロボローネが、一層愛おしく感じられるのでした。

プロボローネお取り寄せは、木次乳業さんオンラインショップへどうぞ

プロボローネ 380g

税込 2,052円 送料別
保存方法:要冷蔵 10℃以下
賞味期限:5ヶ月

木次乳業さんが約30年前からつくり続けているイタリアの伝統製法チーズ。牛の生育環境、乳質、遺伝子組み換えでない餌など、さまざまな条件を満たす限られた牧場の生乳だけを使用しています。

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