素足で知る、素足で味わう、ほんとうの豊かさのこと | 登美さんからの手紙

フレンチブルドッグの福も素足仲間。ひんやりした濡れ縁の感触を楽しみます。

 振り返れば、ストッキングを履かない生活になってもう40年近く経つでしょうか。とくにこの町では、夏は素足に限るというのが実感。冷え性と無縁な体質も手伝って、夏の訪れを感じたらいそいそと靴下を脱ぎ、素足にサンダルばきで歩き回っています。場の力とでもいうのか、どうやらこのスタイルには伝染力がある様子。

その証拠に三女の婿どの(元靴職人で靴には並々ならぬこだわりを持っていた男子です)も、ここに暮らして10年経った今ではすっかり素足生活が板につき、お互いの家を素足で行き来するように。都会から移住してきたほかの若い世代も同様で、まさに「裸の付き合い」ならぬ「裸足の付き合い」だねと言っています。

 夏のしつらえに変えた日本家屋で、素足で過ごす心地よさは何にも代えがたいものがあります。足裏に触れるひんやりした畳や板の間の感触が五感を刺激して、頭の中まで冴えていくような気がするのです。

民藝の作家・河井寛次郎の言葉に「手考足思」というものがありますが、手のひらと同様、足裏には特別な力が宿っていると確かに思います。素手で結んだおむすびが何よりのごちそうになるのと同じで、素足の感覚をちゃんと使って暮らすことが、本質的な豊かさに近づく道ではないでしょうか。それは頭でっかちではたどり着けない境地です。

 そういえばいつだったか、他郷阿部家にお泊まりになったお客さまが「ここは雑巾がけを丁寧にされていますね」とおっしゃったことがありました。聞けばその方はお寺のご住職の奥さまで、ご自身も拭き掃除を日課になさっているせいか「雑巾がけをした床は、歩いてみればわかります」とのこと。掃除機をかけただけの床とは違う、と足で感じ取る鋭さ。

それは本来誰しもに備わっている感受性のはずですが、「あれが足りない、これも足りない」と過剰に足し算を重ねる現代の暮らしでは、そのセンサーも鈍ってしまうように思います。

 夏になると他郷阿部家では、素足で過ごす心地よさを堪能していただくため、お客さまのご到着時、足すすぎ用の水をたらいに汲んでご用意します。冷たい水で旅の疲れも一緒に洗い流して、わが家のようにくつろいでいただくのが何よりのおもてなし。どなたの表情も童心に還ったようにやわらかくなるのを感じます。

 今年の夏は「素足力」、解放してご覧になりませんか。引き算の豊かさも、いいものです。

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