群言堂が大切にしているのは、「見て楽、着て楽、心が元気」な糸づくりと服づくりです。
そのために日本の職人たちと協力しながら、天然繊維を使った身体がラクで心地のいい服を追及し、共に作りあげてきました。しかし時代が進むにつれ、石油由来の化学・合成繊維が天然繊維の代用品に。さらに日本の繊維産業は国内活用が2%を切りつつあり、このままでは培ってきた高度な技術が失われてしまう状況です。
そこで私たちはものづくりの技術を継承することを使命に、糸づくりから紡績工場と手をとり合い「メリノウールインナー」を開発しました。
カシミヤと同等の細さを誇る上質なメリノウールを使用し、世界的に高い紡績技術をもつ鳥取南海紡績(以下、南海紡績)と共につくりあげた自信作です。
糸にこだわる両社だからこそ実現したプロジェクトの背景について、南海紡績取締役社長・氏家信二さんと、群言堂元会長・松場がお話します。
ウールは、優れた調温性と調湿性を兼ね備えています。温度差がある環境でも体温を調節し、汗をかいても逃してくれる。そんな天然繊維の良さを肌で感じてもらうために、まずは肌に最も近い衣類であるインナーウェアをつくりたいと考えました。
肌触りにこだわるため、素材には極細繊維(16.5マイクロン)のスーパーエクストラファインメリノウールを100%使用し、カシミヤのような滑らかな肌触りを実現しました。
この繊細なウールの紡績(*1)を、群言堂は南海紡績に直々に依頼。より細い糸を使うことでウールのチクチク感を軽減するだけでなく、南海紡績の高い紡績技術を世界に広めていきたいという想いもあります。
(*1) 紡績(ぼうせき)とは、動物や植物の繊維を紡いで糸にすること。
氏家さん:
「どこまで細い糸が引けるかトライしたことがあるんですけど、48番手(*2)の細さが定番として、200番手まで引いたことがあります。でも60番手以上は普段あまりつくらないんです」
(*2) 番手とは、糸の太さを表す単位。数字が大きくなるほど、糸は細くなります。
松場:
「そんな南海紡績さんのすごい技術を、次世代に伝えていきたいということで、今回は98番手の糸を使ってアウターに響きづらいインナーウェアをつくることにしました」
16.5マイクロンという細い繊維で、98番手双糸(*3)の細い糸をつむいでいく。ただでさえ高度な紡績技術が必要ですが、さらにその難易度をあげたのは糸への防縮加工にあります。
(*3) 双糸(そうし)とは、2本をより合わせた糸のこと。
メリノウールインナーに使用した糸に施した半防縮加工は、洗濯後の縮みを最小限に抑え、ウール本来の調温・調湿機能や風合いを保ちます。いっぽうで半防縮加工を施した繊維は強度が弱く素材が伸びにくいため、従来の加工方法よりも糸がつむぎづらいのです。
繊細なウール繊維を双糸にできたのは、南海紡績が長年培ってきた、糸をやさしく紡績加工する技術を持っているから。糸にストレスがかからないようにつむぐことで、繊細な素材も糸にすることができました。
氏家さん
「30年以上の経験がありますけど、こんなに繊細な糸は加工したことがありません。ある種、私たちにとっても挑戦でした」
「紡績(ぼうせき)」とは、動物や植物の繊維を紡いで糸にすること。南海紡績は、ウールを主原料とした極細の糸(細番手)の紡績に定評のある、鳥取県の紡績工場です。
社長をつとめるのは、学生時代からウールが大好きだったという氏家さん。1974年に入社してからというもの、この道一筋で仕事に取り組んできました。
南海紡績の歴史は、遡ること1952年。親会社にあたる南海毛糸紡績が設立されたことからはじまります。南海沿線企業が出資したことで、資本金1億円ほどの大きな会社だったという南海毛糸紡績。しかし1960年代に入ると、公害問題によって厳しい規制の対象となってしまいました。
氏家さん:
「毛刈りされたままの洗っていない羊毛は“グリージー”と呼ばれ、羊の脂分が残ったままなので、洗った後の水は脂が多く混入しています。これを排水すると海が汚れるといわれたそうです。汚れを取り除いてはいるものの、それでも追いつかなかったようで……」
このままでは操業ができないと判断した南海毛糸紡績は、1972年にオーストラリアに工場を設立。同時に合弁会社をメルボルンにつくり、洗った毛を日本に送ることで、事業を続けてきました。南海紡績の前身にあたる鳥取南海工業も、この頃に設立されたといいます。
しかし戦後の好景気は日米繊維交渉による輸出制限により急降下し、その後の円高により国際競争力が失われ、多くの繊維工場が倒産。親会社もその煽りを受け、2003年に倒産してしまいました。100%子会社である鳥取南海工業も、まもなくして畳むはずが、「守っていく」と手をあげたのが、当時52歳の氏家さんです。
氏家さん:
「はじめにこの工場にきたのは23歳の頃で、今いる人の7割ぐらいは、その頃から一緒に働いてきた仲間なんですよ。全員、30年間以上技術を磨いてきたので、いい糸を引く力を持っているんですよね。でも違う職種に移ったら能力を発揮できないじゃないですか。だから仲間を守りたいと思いましたし、この技術もなくしちゃだめだと思いました」
2003年に民事再生をして、2004年に社名を南海紡績に変更。親会社からも独立し、繊維業界の雲行きが怪しいなか、氏家さんは今日まで会社を守ってきました。
氏家さん:
「20年間やってきたことは同じですが、技量をあげたり、効率を見直したり、話があればナイロンに混じった不純物を取り除くといった、糸にならないような仕事もはじめました。『できません』というのがいやなので、やってみると意外とできたりして、それでなんとか残ってきましたね。でも幸せなんですよ。常にウールと仕事ができますから」
新たな難題に果敢に取り組み続けることで、技術と会社を守ってきた南海紡績。同社と群言堂のメリノウールインナー開発プロジェクトも、まさに挑戦でした。それは、前例のない繊細な糸をつくるという取り組みだけではなく、メーカーと紡績工場が直接手を取り合う、その構造にもあります。
氏家さん:
「基本的にアパレルと紡績の間には、商社や加工屋さんが必ず入ります。だから直接つながるということ自体が珍しいんです。もし仕事をするにしても、僕らは何トン・何百キロ単位の話をしますが、アパレルは何十キロ単位の世界なので、発注する量の基準も合わないんですね」
キャパが二桁も違うという、繊維産業の川上と川下。しかしこの問題も、群言堂がリスクと向き合うことで、互いに調整を進めてきました。
松場:
「メーカーとして、リスクをとるぐらいの強い意志をもってやっていかないと、川上と川下が連携して糸の命を生かしきるものづくりをしていくことはなかなか難しい。だからこそ、挑戦しがいがあります」
同じ繊維業界にいながら、直接手を取り合うことがなかった両社は前例のない山陰での取り組みを通じて、新たな可能性を模索し続けています。