私の芯にはいつも「紡ぐ・織る・繕う」という言葉があります。ほんの指先ほどの短い綿の繊維も、集めて紡げば1本の長い糸になります。そして布を織るには経糸と緯糸が必要です。人の一生を布にたとえれば、経糸は時の流れ。そして緯糸は日々の暮らしです。緯糸の杼が左に飛び、また右に戻ってトンと綜絖がおろされる時、表面上はなんの進歩もないように見えるでしょう。けれど日々を積み重ねた先に、隠しようのないその人の模様があらわれるのです。
そして「繕う」ことも私のライフワーク。古民家の蔵で眠っていた古布を再生して新たな役割を与えることもそうですし、ボロボロだった武家屋敷「他郷阿部家」を20年間修復し続けていることもそう。そこには、ものを繕うだけでなく地域の暮らしや景観を繕うのだという思いがあります。
そんなふうですから、私にとって針と糸を手にすることは、いわゆる「趣味」とは少し違っています。かといって誰かに課せられた「義務」とも違う。私は常々、遊ぶように生きたいと思っています。「精魂込めて働く」と「精魂込めて遊ぶ」は私にとって同義なのです。生かしたい布がある。繕いたいものがある。あっと驚かせ喜ばせたい誰かがいる。そう思った時にはもう手が動いている、という具合です。
幸いなことに私には、そんな遊び心を刺激してくれる幾人もの仲間がいます。写真で縫っている犬の手ぬぐいは、長年の友人である加藤エイミーさんが贈ってくれたもの。東京の麻布十番で「ブルー&ホワイト」というお店を営む彼女は、アメリカ人ながら日本の藍染や伝統的な日用品をこよなく愛する人。群言堂本社の茅葺屋根を修復するためクラウドファンディングを行った際には、古い大福帳の和紙に500円玉を重ねて包んだおひねりを竹カゴにびっしり詰めて贈ってくださいました。この手ぬぐいも、裂いた端切れをリボンに結んだ素敵な包みで届きました。そんな茶目っ気を受け取ったら、こちらもじっとしていられません。いただいた手ぬぐいは、その日のうちにベッドカバーに縫い上げ、翌日その写真を彼女の元へ。こんなワクワクを自分の手で作り出し、誰かと分かち合うことが私の生きがいなのです。この地に流れる時間と、かけがえのない出会いの縁と。授かったすべてを紡ぎ、織り、繕いながら、日々を暮らしています。