こんにちは。今日は11月30日。例年より暖かいなーと感じていた矢先、ぐっと冷え込み雪が降り始めた十和田湖です。これが初雪。
さあ、相も変わらず本日も喫茶憩いからスタート。
葉っぱはすっかり落ちて、木枯らし吹く十和田湖です。
こんにちは。今日は11月30日。例年より暖かいなーと感じていた矢先、ぐっと冷え込み雪が降り始めた十和田湖です。これが初雪。
さあ、相も変わらず本日も喫茶憩いからスタート。
英子さんがりんご持っていきなさいと言うけど、家にもまだまだあるからとおやつに、剥いてもらうことに。
青森の特産品として名高いリンゴ。十和田湖にいると、旬のこの時期は購入せずとも手に入ることがよく・・・今日も英子さんがリンゴをむいてくれています。誰かの親戚はりんご農家、というケースが多々あるのです。
中野:英子さんって、十和田湖が信仰の場だということ、お嫁に来る前から知ってた?
英子:こっちにきてからね。十和田神社の大祭で、白装束の人がたくさん集まっているのを写真で見たのが最初かしら。それから地元のガイドさんに色々聞くようになってね。十和田湖に住む前はきれいな観光地としか思ってなかったわ。
十和田湖は観光地として栄えますが、そのきっかけをつくったのが大正時代の文人、大町桂月と言っても過言ではないでしょう。第7話でも少し紹介しましたが、雑誌『太陽』で十和田湖のことを褒めたたえています。
人が暮らし始めたのは明治時代からとはよく皆さんにお伝えするのですが、実は信仰の場として、十和田湖は長い歴史をもっています。こんな場所ですから、自然信仰の対象として拝まれていたことは想像にかたくないですよね。そこに平安時代、南祖坊というお坊さんが仏教の教えを持ち込み、修験の場として多くの修験者が十和田湖で修行をしたと伝わっています。江戸時代からは一般の参詣者も増えました。
そして、信仰の中心となるのが「十和田神社」です。仏教なのに神社? と思う方もいるかもしれませんが、明治初期の廃仏毀釈以前は寺として存在していたのです。現在はその名残りから、十和田神社はヤマトタケルノミコトとともに、青龍大権現(南祖坊)を祀っている、となっています。
とまあ私から信仰の話をすることが今回の目的ではありません。いつの頃からか観光の場になってしまっているこの十和田湖で、改めて「信仰」について伝えたいと尽力している人に話を聞きました。
お店にくれば9割はこのひめます親子飯。上品な甘さとそのなめらかな口触り、マスコのプチプチがやみつき。
こちらは十和田湖名物「ひめます親子飯」です。十和田湖で育つ淡水魚を美味しく出してくれるのが、「おみやげとお食事の店 もりた」。友人が来た際は必ず紹介するお店です。
今日はそこの3代店主、森田一成さんとお喋りします。
神社の目の前に立つ「お土産とお食事の店もりた」。観光シーズンは参拝客で賑わいます。
中野:森田さんは、この神社前で生まれ育って、十和田信仰エリートみたいなイメージなんですけど(笑)
森田:いやいや、親からはそういう話一切聞かされなかったし、神社はただの遊び場。ビーサンで走りまわってたよ。岩だらけの占い場(南祖坊が入定されたといわれる場所。十和田湖で最も神聖とされる)にも降りてたし。お参りというか、カエルの解剖した時に、「ごめんなさい」って頭下げる場所だったなあ。何百人っていう白装束の団体がいろんな地域から来ているのは横目で見てたけどね。
中野:でもあくまで遊び場だったわけですね。そもそも一度外に出られていたと思うんですが、帰ってくるきっかけは?
乙女餅(十和田湖畔に佇む高村光太郎の遺作「乙女の像」にちなんだお餅)を仕込む森田さん。
森田:長男だからいつかはって。小学生の頃からイカ焼いて売ってて、面白かったから、料理が作れるようになれればと思っていた。手に職もつけたかったしね。
中野:いま十和田湖に来るためにどのような参詣道が使われていたか、古道についても大学の先生を招いて調べていると思うのですが、いつぐらいから信仰について興味をもったんですか?
森田:32才くらいの時かな。十和田湖に帰ってきてから、十和田神社のマップ作ってよって頼まれたの。お社がたくさんあるんだけど、そういうのをまとめてほしいってね。でも考えたら、俺は何も知らない。神社の前で商売もしているから、よく聞かれるんだけど、答えられないんだよね。
神社や信仰のことについてよく知っている人に話を聞いて、なんとか作ったんだけど。写真も撮って、文章も全部自分で書いた。宮司さんが知らないこともあるから、大変だったよ。
森田さんがUターンして手掛けた、信仰について勉強するきっかけになったマップ
中野:これを森田さんが作ったんですね。毎週朝のガイドもやってますよね?
森田:うちの母親含めて上の人たちがはじめた「十和田湖自然ガイドクラブ」というボランティアガイドの団体があって、15年ぐらい前からそれに参加しているのよ。はじめはうちの母親がやっていたのを、いつの間にかやらされてたわけ(笑)。でも、はじめたはいいけどどうやって説明したらいいかわからなくって。
中野:そこで信仰の話もされているんですか?
森田:ガイドは自然がメインなんだけどね。ガイドクラブのメンバーで、歴史や信仰について興味をもったのが何人かいたのよ。そこでチームを作って勉強することになったの。たまたま、仲間の実家が運営していた民宿が閉じちゃったから、その場所を使って隣の七戸町在住の創作人形作家、奈里多究星の展示をやったんだけど、あまり人が来なくて。だったらついでに十和田神社の展示もやろうってことではじめたの。
それが青森県の人の目にも触れて、もう少し掘り下げてやりましょうという流れになった。今もお世話になってる弘前大学名誉教授の斉藤利男先生とつながる機会もこの展示だったんだよ。
中野:森田さんたちの活動が、確実に広がってますね。地図を作ったり、ガイドをしたり。
森田:斉藤先生も十和田信仰の調査で十和田湖に来てたから、案内するようになった。自分が小さい頃から見てきた景色と、斉藤先生の知識と、現地で擦り合わせができるようになったんだよね。
中野:知りたいという思いから、ここまで続けることができるのってすごいですよね。
森田:ここまで流れに乗ってよくやってきたよね。タイミングもよかったというか。何かがそう仕向けてるのかな(笑)。今ね、史実を知らなくても自分の勝手な意見とか、適当に言う人がいるのよ。まあ説がいっぱいあるし入り組んでいるんだけどね。俺はちゃんと知りたいし、ちゃんと伝えたいと思うんだよね。
中野:なるほど。お土産や料理店など観光に従事しながらも、信仰を繋いでいく役割も担っているんですね。
大晦日の十和田神社。
森田:ある人にね、「十和田湖は信仰を忘れて観光をやっている」って言われて、すごく悔しかったんだよね。でも、俺たち十和田湖に住む人間は、来訪者が信仰目的でも、観光目的であっても、接待するという立場はずっと変わらない。だから、何も知らずにそういうことを言われたくないし、自分はきちんと背景を知っておきたい。途切れてしまいそうなものを繋げておきたいの。ここに住んでいるんだから、当然のことだと思う。
十和田湖は江戸時代にはもう俗化した場所になっていたんだけどね。自然を利用して炭焼きをやっていた人、鉱山があるに違いないって個人的に掘った人もいたの。だんだん信仰の湖から変化していったんだよ。その後は十和田湖に船を浮かべる人も出た(湖が神様なので、湖の上に人為的なものが浮かぶことはあり得なかった)。
中野:昔の人は、十和田湖をどう見てたんでしょうか? やっぱり力を感じていたんでしょうね?
森田:修験者たちは、こんな山の上に大きな湖があることにまず驚いただろうな。平安時代が一番新しい噴火だけど、京都まで灰が飛んだと言われているくらいで。その記憶とともにあったよね。
中野:人の力が及ばない場所、という感じですかね。
発荷峠から十和田湖を望む。何百年と変わらない景色。
森田:江戸時代の参詣者にとっては、アミューズメントパークみたいな感じだったかもしれないね。年に一回ずっと使われている古道を通ってお参りに来る。例えば銚子大滝(奥入瀬渓流本流にある唯一の滝)のところには杉の大木があるんだけど、そこに大杉明神の祠があって、聞いてきた物語を確かめにきているというか。
古道の一つ秋田側からの入口から来ると発荷峠(はっかとうげ)にたどり着くよね。そこには湖が広がっていて、九十九折り(つづらおり)に下りながらだんだん十和田湖に近づく感じはもう装置だよね。あとは、今は道もないけど、銚子大滝の上に湖を見るための遥拝所があって、そこからは金色の夕日が見える。そんな風景見たらもう浄土に近づけるって思うよ。やっぱり装置というかうまく配置されているんだよ。
中野:神社前で生まれ育って、こういう活動をされているので、勝手に信仰心の厚い人と思っていたんですが、すごく客観視されていて、史実を伝えたいという気持ちが大きいんですね。でも、小さい頃は全く興味はなく、長男だからと帰ってきた。いろんなことが重なって信仰について伝える立場にいるってなんだか不思議ですね。
それがどうしてもやりたかったということじゃなくて。
森田:怖いよね。引き寄せられてるみたいで。ガイドの時もね、今日は悪天候だから絶対無理だろうと思っていて、でも朝6時の開始にピタって晴れたりする。ガイドしろよって誰かに言われている感じがするのよ。
中野:ちなみに森田さんにとって十和田湖って?
森田:なんだろ。十和田湖じゃなくてもいんだけどほんとは(笑)。でもなんとなく十和田湖がゴールって決まっているのかも。たまたまここに生まれたから、ここにいろって言われている感じ。でも本当は海が好きなんだけどね。海釣りしたいし(笑)。俺を十和田湖に残そうとする何かが働いているんだろうな。
筆者プロフィール
中野和香奈
なかの・わかな
編集者/インテリアコーディネーター。住宅会社のインテリアコーディネーターを4年勤めた後、北欧雑貨・家具をメインに扱うインテリアショップへ転職。店長、バイヤーを経験。2014年から雑誌編集の世界へ。雑誌『Discover Japan』の編集を経験し、現在は十和田サウナを運営する合同会社ネイチャーセンス研究所所長のかたわら、編集・執筆、インテリアコーディネートの業務も行う。
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