こんにちは。もう10月も半ばが過ぎようとしています。十和田湖は紅葉シーズンに突入。昼に外食しようとするとどこも満席で難民になってしまうので、おとなしく家で食べることが多くなる日々・・・。
さて、連載8回めは同年代の仲間の活動は一旦お休み。私たちよりずっとずっと先に十和田湖で暮らす大先輩に話を聞きます。ひめます漁が盛んな十和田湖で、暮らしと仕事が密接に関係する「漁師民宿」へ。
今日も英子さんと喫茶憩いからはじまります。
十和田湖はいよいよ紅葉のはじまり。平日もお客さんで賑やかになります。
こんにちは。もう10月も半ばが過ぎようとしています。十和田湖は紅葉シーズンに突入。昼に外食しようとするとどこも満席で難民になってしまうので、おとなしく家で食べることが多くなる日々・・・。
さて、連載8回めは同年代の仲間の活動は一旦お休み。私たちよりずっとずっと先に十和田湖で暮らす大先輩に話を聞きます。ひめます漁が盛んな十和田湖で、暮らしと仕事が密接に関係する「漁師民宿」へ。
今日も英子さんと喫茶憩いからはじまります。
英子さんが用意してくれた今日のおやつは南部の郷土菓子「豆しとぎ」。
中野:十和田湖で漁師民宿っていう業態は、今の時代に“ちょうどいい”って思うんだけど、話を聞くなら誰がいいかなー。
英子:もう今は漁師民宿って十和田湖に3軒ほどしかないのよ。
中野:そうなんだ。私は友達が来ると春山荘すすめてたけど、3軒中の1軒だったんだ。
英子:そういえば不思議なんだけど、憩いにくるお客さんにどこに泊まるか聞くと、春山荘っていう人が多いのよ。あと、戦時中にあそこのおじいちゃんが墜落した飛行機に乗っていた少年兵を助けたっていうエピソードもすごく有名よ。
中野:へー。私もよくお世話になっているし、春山荘にお願いしてみる。ウェブサイトも十和田湖の暮らしをちゃんと伝えているっていうのがよくわかるよね。
いつも笑顔が眩しい!春山荘の女将、勢津子さん。
ということで、今回は漁師民宿「春山荘」の女将、金村勢津子さんとおしゃべりしてきました。私も宿泊する友人に混ざって、たまに食事をいただくのですが、季節の山菜やひめますを提供してくれる美味しい宿。勢津子さんの夫、春美さんがひめます漁師として活躍し、勢津子さんがほぼひとりで民宿を切りもりしています。いつも明るく前向きな笑顔が印象的な勢津子さん!
中野:十和田湖に拠点をもって5年が経つけど、宿をやっている方とじっくりお話をする機会がなくて、皆さんがどんなこと思って、どんな風に生活してるのかなって気になってました。
勢津子:そうよねー。民宿だと暮らしもわかりやすいよね。私も意外と一生懸命生きているのよ(笑)
中野:いや、それはもう伝わってきますよ!
勢津子:隠すことができなくて一生懸命バタバタ生きてます。
中野:春山荘はいつから営業しているんですか?
勢津子:昭和48(1973)年、主人のお母さん、ヨキさんが始めたの。もともと養豚をやってたんだけどね。
中野:来年50周年だ! で、十和田湖に養豚があったんですね。びっくり。
勢津子:あの頃はね。国立公園になる(1936年)前ぐらいだと思うけど、徐々に宿が増えてきて、おばあちゃんは着々と民宿にする準備を進めてたと聞いてます。みんな突然のことで驚いてたみたい。
中野:ヨキさんが民宿を始めたんですね。勢津子さんご出身は?
勢津子:私はね、鹿角(十和田湖から30kmほど南下した秋田側にある町)。たまたまね当時の勤務先が十和田湖で、(夫の)網に引っかかりました(笑)
中野:笑。十和田湖ってどういう印象でしたか?
勢津子:ものすごく大都会に見えた。お祭りの時だったけど人も多くて、迷子になりそうなくらい。露店で賑わっててね。今もそれくらい人が来てくれたらいいわよね〜
中野:そうなんですね。大都会に嫁に来て、民宿を継いだわけですね。
勢津子:あ、そうそう。たしか・・・
食器棚の引き出しから何かを取り出して・・・
創業時、増築前の外観。当時から現在も通う常連さんが制作してくれた。
こちらが現在の姿。季節と、勢津子さんの義父だった故・春治さんの「春」、裏にある「山」から名付けられた。
勢津子:あらやだ! 裂けちゃってるわ。これが最初の春山荘なのよ。私が嫁いだ昭和59(1984)年に増築して、外観も変わったんだけどね。
このチラシを作ってくれた方は、当時大学生。ヨキさんは気さくで、おじいちゃんの春治さんもとっても優しい人だったから、それで好いてくれたのかしらね。常連さんになってくれたの。おじいちゃんが亡くなった当時(2020年11月)にこれを送ってくれたのよ。神奈川の方なんだけどね。今でもたまに来てくれるし、私も秋には必ずリンゴを送っています。
中野:勢津子さんがちゃんとお客さんも継いでいるんですね。ヨキさんから引き継いで大事にしてることってあります?
勢津子:そもそもね。魚を下ろすことすらできなかったのよ。大したお料理もできなかったし。それを全部教えてくれたのが、ここのお母さんでした。今では小さいフナからコイまで捌けますよ。
中野:お料理できなかったんだ。意外です。
勢津子:あと、おじいちゃんがよく言っていたのが「損して得とれ」。それがずっと頭にあるかな。儲けることだけじゃなく、気持ちいっぱいお客さんが喜ぶおもてなしをすれば、必ず返ってくるからって。その時損したと思ってもそれはきっと儲けにも繋がる。だから自分の労力はタダだと思ってます。その分お客さんには色々してあげたいの。でも最近はね、年齢と共にガタがきてます。なんでもいいよーって言っちゃうから(笑)
中野:その一生懸命さにお客さんがついてくるんでしょうね。
勢津子:リピーターさんが多くなってきて、特に感じることがあるの。私はもう60になるんだけど「あとどれくらい働けるかな、でも10年頑張ろう」って思うわけ。来てくれるお客様とね、人間としての付き合いが強くなっているから、途中で辞められなくてね。冬は食べられるものが少ないだろうって野菜持ってきてくれたりするのよ。
中野:嬉しいですね〜。漁師民宿って、きっとそういう距離感ですよね。
ひめますはもちろん、青森の名物バラ焼きや、ホタテも。この日はさらにタイのあら汁が。バラ焼きの代わりに鹿角が発祥のきりたんぽ鍋や青森・八戸名物のせんべい汁が付くことも。青森と秋田にまたがる十和田湖ならでは。
勢津子:そうね。だからお客さんにはできるだけ喜んでほしい。主人が獲ってくるひめますもそうだけど、できればここでしか食べられないものを出すようにしてます。採った山菜やキノコはその時期に出すけど、塩漬けや缶詰にして保存もしてるので、冬にも出せますよ。ここ十和田湖は青森であって秋田でもあるから、両方のお料理が楽しめます。
中野:保存も雪国の暮らしの知恵ですよね。勢津子さんが出してくれる山菜のしどけ(東北地方日本海側に生息するモミジガサ。えぐみが強い)美味しいもんなー。自分ではうまく調理できない。お客さんも喜びますね。
勢津子:初めて食べるものばかりで美味しいって喜んでくれるわね。
中野:畑もやってますよね?
勢津子:そうね。おじいちゃんが本当にすごくてね。春山荘をはじめた時も自給自足をモットーで頑張ろうって。おじいちゃんが作った野菜はすごく美味しかったの。当時はニワトリも飼ってたわね。亡くなってからは私ができることだけ、無理なくやってます。
中野:勢津子さんが民宿を継いでから38年目ですよね? 辛いときはなかったですか?
勢津子:色々あるけど、仕事は意外と楽しくやってますね。身体のガタがきてるから(笑)
お客さんには「せっちゃん大丈夫?」って心配されるけど。
中野:休みないですもんね。冬も営業してるし。
勢津子:でも、スーパー行くのに1時間かかるでしょ。それがまた楽しいのよ。疲れていてもいい景色みて気分転換!
中野:暮らしを楽しんでますね! いとく(車で約1時間かかる秋田県発祥のスーパー)行くだけで楽しいですよね。
勢津子:あら。話合うわね。食材が面白いし、いいわよね。
中野:ちなみに後継者は? 娘さん?
勢津子:いないのよ。さっきも話したけど、なんで10年かっていうと、この建物がもう築50年になると、お客様にお金をいただいて提供するのが難しくなってくるかなって。修繕も後継者がいないとなかなかできないしね。それで10年を目処にしようというのもある。身体のことももちろんあるけどね。
中野:なるほど。
ひめますの卵、「ますこ」。いくらよりも歯ごたえがありなんともいえない食感。朝食につくことが多い。
勢津子:あとね、なんで料理に一生懸命になってこだわるかっていうと、私がよその民宿さんと勝負できるのは料理しかないと思うの。建物の新しさとかでは売り込めないし。じゃあ、「料理を頑張ろう」って!
中野:ヨキさんや春治さんが残したものをちゃんと受け継いでいるんですね。民宿で感じる暮らしや料理の美味しさ、勢津子さんの人柄含めて、春山荘そのものを表している言葉で、とっても腑に落ちます。
勢津子:そう? お客さんにもいうの。まず部屋に行くために昇る階段が急だから、「ごめんねー。作りが古いから。踏面の奥行きがないでしょ? 気をつけてね」うちはここから始まります。
中野:笑。後継者が見つかるといいですね。
勢津子:孫がね、女の子3人なの。来れば茶碗洗いや浴衣の帯を畳むのを手伝ってくれて。3人のうち、誰かがやりたいって言ってくれたら、私がお手伝いにまわろうと思う反面、縛り付けるのもかわいそうだなと・・・。
中野:今度は勢津子さんがヨキさんになる番ですね。10年経ったら一番上の子は18歳だから、継げますね。
勢津子:どうかな。欲が出ちゃうなー(笑)
ほとんどの作業を一人でこなす勢津子さん。あまりに人数が多い時は友人にヘルプを頼みます。
中野:でも10年頑張れば、次の10年が見えるかもしれないですね。
勢津子:頑張って生きます(笑)
2016年4月。家族で弘前の夜桜を見に行った際の春美さんと勢津子さん。
中野:最後に、春美さんとの出会いは?
勢津子:十和田湖での朝野球かな。当時私が勤めていた会社と(十和田湖)休屋青年会のチームが対戦することがあってね・・・これも書くの?
中野:書きませんよ(笑)
筆者プロフィール
中野和香奈
なかの・わかな
編集者/インテリアコーディネーター。住宅会社のインテリアコーディネーターを4年勤めた後、北欧雑貨・家具をメインに扱うインテリアショップへ転職。店長、バイヤーを経験。2014年から雑誌編集の世界へ。雑誌『Discover Japan』の編集を経験し、現在は十和田サウナを運営する合同会社ネイチャーセンス研究所所長のかたわら、編集・執筆、インテリアコーディネートの業務も行う。
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