第二話 一度は上京した湖畔生まれの人の話|十和田湖畔の喫茶店から 中野和香奈

今日は何やら賑やかな様子の「喫茶憩い」。西日が眩しい、3月の陽気

こんにちは。中野です。今月も喫茶憩いからお届けします。前回とは打って変わって賑やかな「憩い」。

今日のゲストを待っていたら、湖畔の仲間が次々にやってきました。
4月末からのグリーンシーズンを前に十和田湖は人も自然もどことなくソワソワした様子。

今日も変わりなく店を開ける店主・英子ママ。ほぼ年中無休。(お休みは歯医者と山菜採りの時)

「息子が帰ってきたのよ。いまカヌーや森のガイドやっているの」(英子ママ)
といっても帰ってきたのはもう12年も前。

今日は、その英子ママの息子をゲストに迎えて十和田湖の自然や暮らしについて話をします。

Towadako Guidehouse 櫂のカヌーツアーにてガイド中のやすくん(6月初旬)

本日のゲスト「やすくん」こと、太田泰博さんは十和田湖生まれ、十和田湖育ちの生粋の十和田湖人。
インタビューに入る前に少しだけやすくんについて紹介しておきますね。

やすくんは高校から十和田湖を離れ、(十和田湖には高校がなく、自宅から通学できる学校がないのです)卒業後は上京し、ミュージシャンを目指します。

10年間の東京生活の後、地元・十和田湖での音楽フェスを開催するためにUターン。現在はTowadako guidehouse櫂を仲間とともに立ち上げ、カナディアンカヌーやランブリング(森をぶらぶら歩くこと)を通して十和田湖の自然を伝えるネイチャーガイドとして活躍するかたわら、音楽活動も細々と継続して日々の暮らしを楽しんでいます。

「わかちゃん、今日カヌー乗ろうよ、スキーしようよ」と、やすくんは天候を見て、その日の最適な遊びに誘ってくれます。

中野:やすくん、今日はよろしくお願いします。

やす:うん。よろしくね。

中野:やすくんは小さい頃、この十和田の自然をどう受け止めてた?

やす:それはもう当たり前だったね。とにかくこの外輪山(十和田湖を囲む山々)を越えたくて家出を試みるんだけど、越えられなかった・・・

やすくんが小さい頃から越えたいと思っていた外輪山の「壁」

中野:でた! 越えられない外輪山。小さい頃から十和田湖はカルデラ湖、とかは認識してた?

やす:うんうん、してたよ。ただ、言葉としてだけ。カルデラが何たるかまでは分かってなかったと思う。(編注:十和田湖は約21万年前から続く噴火活動によって形成されたカルデラ湖で火山)

国立公園だから木を切るなとかルールは染み込んでたなー。あとね、家族で車移動するときに外輪山を越えるタイミングで酔うのよ。で、子どもだから我慢できずに途中で吐いたり、おしっことかすると、親に神様に謝れって言われてた。「神様神様ごめんなさい」てね。

中野:自然は神様だってことだね。子どもの頃はどういう遊びしてた?

やす:エビとった! 「エビ食いてー」って思い立ってさ、夜に懐中電灯もって湖に行った。(編注:湖に生息するテナガエビのこと)

中野:で、英子さんに渡すの?

やす:カリッと揚げてくれたね。すぐ食べたいから砂も抜かずに揚げて、ジャリジャリしてた。ヒメマスも食卓に出たなー。(編注:ヒメマスはベニザケの陸封型。十和田湖では鉱山へのたんぱく質供給のため、1905年から増養殖を行なっており、現在では特産品になっている)

中野:ヒメマスは嬉しい?

やす:嬉しかったなー。いつもは肉食べたいんだけど、ヒメマスは特別。

中野:当たり前だけど、地元で採れるもの食べてたんだね。山菜採りも行ってた?

やす:物心つくかつかない頃から行き始めてた。キクラゲ見つけて、ガチャガチャのケースに入れてたの覚えてる。

中野:十和田湖って、純度の高い自然に人の暮らしが覆い隠されていて、わかりづらいじゃない? 歴史がありつつも、人が入植して暮らしが始まったのも明治だし、しかも観光地として栄えていく。

やす:文化がないよね。

中野:でも、ちゃんとその土地にあるものを採って…

やす:享受はしているね。国立公園ゆえに、環境省というベールに包まれてるけど(笑)

(編注:休屋には環境省の事務所があり、国立公園としてのルールの管理と国有地の管理をしている)

中野:環境省に地域の暮らしを奪う権利はないんだけど、ルールがあるから住民が言いたがらずに、謎めいているよね。

やす:だから外から見た時に、違和感はあるよね。あれはね、文化を観光に捻じ曲げられてる部分だと思う。それがいいか悪いかは、入り込んでいった時に見えてくることかもしれないね。

中野:文化や暮らしがないとか言われたりもするんだけど、「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産になったじゃない? その時に話を聞いた考古学の先生(岡村道雄氏)が縄文の暮らしこそ日本の文化の礎であり、文化は政治がつくってきたわけではないって言ってたのがとても印象的だった。

自然の中にあると文化的要素が見えにくいし、あまり認識されづらい。私もそれまではやっぱり文化は東京や京都にあると思ってたし。やすくんもだけど、カルチャーに憧れて、触れたくて東京に出たでしょ?

やす:そうね。見えなかったからね。おのぼりさんは、おのぼりさんだけの暮らしをしてたら見えないし、やっぱ外輪山の外は青かったな〜。

中野:でもさ、今は外輪山の内側も超青いよね。ところでやすくんが十和田湖に戻るきっかけは何だったの? 

やす:十和田湖で音楽フェスやりたくてさ。フジロックとかを手伝ってて感じたんだけど、もっと自然度が高いところでやったほうが面白いんじゃないかなと思った。

中野:なるほど。やすくんは純度の高い自然が染み込んでるんだね。その後はなんでガイドに?

やす:十和田湖で音楽フェスを開催するなら腰を据えてやりたいと思ったの。役場の人に呼ばれたのもあって、そのフェスを応援してくれる地元の会社で2年間働くことになったのがきっかけかな。その時に自然ガイドを習ったんだよね。

中野:そこで具体的に自然に対する・・・

やす:目覚めはあった。自分がなんとなくいいなと思っていた森に、植物の種名を覚えることで名前が付いてきて。その時、ガイドにならなきゃって多分人生でいちばん頑張った。フェスでお世話になったしね。覚えなきゃいけなくて、覚えていったと思う。好きだというのもあったけどね。でもトチノキとホオノキの木の違いがどうしてもわからなくて。いま思うと全然違うやん!って(笑)

中野:でもさ、期間限定で、完全に戻ってくる気持ちはなかったんじゃない?

やす:ガイドが楽しくなってきたのよ。影響を受けた人がいたからだけど。自分がなぜ十和田湖が好きなのか、明らかになってきたのかもしれないね。

中野:私も同じかも。やっぱりやすくんみたいに自然のことをいっぱい教えてくれる人がいるからなんだよね。

5月下旬の奥入瀬渓流。十和田湖から流れ出る唯一の河川。最上流14kmの渓流区間。

やす:十和田湖へのプライドもあるよ。自分なりにいろんな場所を見てきて。
よく言われることだけど、こんなにクオリティ(Quality)の高い森にネイチャートレイル(Trail)があってアクセス(Access)が至極便利。QTAの3点を兼ね備えているエリアは本当にない。ハンディキャップもった人も奥入瀬渓流や十和田湖に入れる。身近すぎて一見すると特別性を感じにくいかもしれないけどね。

十和田奥入瀬には苔が300種くらいあるんだけど、鳥も、樹木も含めて固有種がない。そんな普通の場所なのに、圧倒的な自然をつくり出しているのって、すごいことだよね。

十和田湖って信仰の場所でもあったから、昔は人が近づけなかったのもあると思う。だからこの純度の高さが保たれていたのかもね。

ところでさ、ニュージーランドにあるミルフォードトラックって、「世界一美しい散歩道」って言われてて。行ったけど、アクセスがまず悪いし、外来種が入らないよう足の裏洗ってから入るの。ニュージーランド政府が保護を徹底してて、残そうとしている姿勢だった。もちろんすごく美しかったけどね。

やすくんが撮影した十和田湖「御倉半島」に沈む夕日。

やす:でも、十和田湖ではさ、夕日がめちゃくちゃ綺麗って言ってハザードつけて車停めて写真撮れるじゃん。普通できないよ。同じレベルの環境でさ。ものすごいところにいるのよ。俺たち。そういう日常のひとコマで、どんどん愛情も増してくよね。

中野:世界レベルの風景が日常にあるってすごいことだよね。ねえやすくん、 私たちいま、やすくんが越えたかった外輪山の中にいるんだよ。

やす:結局ね。十和田湖の美しさを確認するために毎回外に出て、やっぱり十和田湖がいいなって思うよね。なんなんだろうね、この不思議な引力は。


筆者プロフィール

中野和香奈

なかの・わかな

編集者/インテリアコーディネーター。住宅会社のインテリアコーディネーターを4年勤めた後、北欧雑貨・家具をメインに扱うインテリアショップへ転職。店長、バイヤーを経験。2014年から雑誌編集の世界へ。雑誌『Discover Japan』の編集を経験し、現在は十和田サウナを運営する合同会社ネイチャーセンス研究所所長のかたわら、編集・執筆、インテリアコーディネートの業務も行う。

十和田サウナ

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