私が通っていた武蔵野美術大学工芸工業デザイン科では、2ヶ月に一作品を仕上げ、作品発表をします。
「講評」と言って教授たちが全員の作品を見て歩きながら、生徒に質問をしたり、時には議論をしたり。
学生は教授とクラスメイトに作品についてのコンセプトや技法についてなどをプレゼンして評価をしてもらいます。
美大の場合、これが単位の取得になります。
私が通っていた武蔵野美術大学工芸工業デザイン科では、2ヶ月に一作品を仕上げ、作品発表をします。
「講評」と言って教授たちが全員の作品を見て歩きながら、生徒に質問をしたり、時には議論をしたり。
学生は教授とクラスメイトに作品についてのコンセプトや技法についてなどをプレゼンして評価をしてもらいます。
美大の場合、これが単位の取得になります。
大学に入り始めてのテキスタイルの課題制作。藁やウールなどを束にしている
辛口な教授に厳しい意見をもらって落ち込んだりすることも多々ありましたが、では良い評価をもらえたら嬉しかったか、というと、それもまた違いました。
褒められたら褒められたで、自分が身を削るほどの思いで作ったわけではない罪悪感と、どうやったらそんな「全力」に到達できるのか想像がつかない焦り、自分のセンスに対する疑い、そして何より、結局は誰のためにもなっていないゴミのようなものを、こんな中途半端な気持ちで日々作っている自分への嫌悪感に、母の死が追い打ちをかけ、自分の罪深さに息もできなくなる思いでした。
もうやめよう。制作とか、表現とか、もう全部やめよう。本気でモノ作りをしている人達にも失礼だ。
自分の欲のまま生きるのは、もう終わりにしないと。
そんな言葉を毎日毎日反芻し、完全に何かにチャレンジする勇気も失せてしまっていました。
制作から逃げて、青森のりんご農家でインターン。青森行きのバスに乗って、無計画にりんご畑で降り、ビニールハウスで作業していた農家さんに突然「働かせてください!」と言って二週間ほど居座らせていただいた。
大学院の頃に始めた某予備校講師の仕事を、卒業後もなし崩し的に続け、自分としては「まあ講師なら、若い世代のサポートになるし、ゴミも授業で使った紙くらいのものだし、、、」とかなり消極的な理由を自分に与え、手仕事といえば自分の帽子などちょこっと編み物をする程度。
色々考えすぎて完全におかしくなっていた私は、5年間同棲していた優しい彼氏ともよく分からない理由で別れ、なんの反動かたった5か月しか交際していなかった次の彼氏とあっという間に勢いで結婚。結局4年で破綻してしまうのですが、今振り返っても、本当にハチャメチャな時期でした。
結婚時代は彼が家で絵を描き、私が外で働いていました。
作家である夫のサポートをしようと誓ったわけですが、当時はいわゆる性格の不一致、を理由に破局。まあどちらも若さゆえのワガママと、社会へのフラストレーションを相手にぶつけていたのかな、、としばらくは思っていたのですが、最近になって、全て今の暮らしに辿り着くための必要な過程だったのだと強く思うようになってきました。
私はどんな暮らしがしたかったんだっけ-------
ビニールヒモでヒラヒラのスカートを作り、無表情で佇む4歳の頃
元々は幼い頃から手仕事が大好きだった私。
祖母や母が刺繍や編み物などをたくさん教えてくれ、何度も指先から血を出しながら、それでも縫い物を教えてくれとせがんだ幼少時代。
あの頃は当然ながら何の悩みもなく楽しいままに色々作っていたなあ。
そんなことを考えていたら、ふと、もの作りをやめるって、なんか母を裏切るような行為だな、と突然思い始めました。
亡き母と私が、一番繋がっていられるのは手仕事なんだ。
また始めよう。ちゃんと自分が納得いく形で。
学生時代に悩んだ「自分はゴミを生み出しているんじゃないか問題」をちゃんと解消できるようなコンセプトをしっかり考えて、今度こそ逃げないようにしよう。
それを実現するべく、大学時代にたまたま旅行で来て、その後何度も足を運んでいた尾道に、心機一転、移住することとなりました。(このくだりは群言堂HPにあります、鈴木さんが執筆してくださった「立花テキスタイル研究所のものづくり」をご覧ください)
コンセプトの構築には一年を要しました。同時に毎日フィールドワークと染色実験にも明け暮れました。
どのエリアに、どんな廃材があるか。地域の問題、課題は何か。テキスタイルを通して、その地域の課題の解決に繋がることとは?
色々な業種の方に会い、話を聞き、自分が興味を持てること=継続性のあることを探して歩きました。
そして辿り着いたのが、「農家や地域の企業が出す廃材を染色材料として、できる限り環境負荷をかけない手法で、地場産業である帆布を染めた製品を作る」ことでした。
よし!やるぞ!生まれ変わるぞ、ゴミと一緒に!
全部捨てたくなっていた人生から一転、全部有意義に使うことに大方向転換した32歳の秋。ここからどんどん運気上昇、尊敬できる方、色々話せる仲間、おまけに今の旦那となる面白いアメリカ人に出会うことに。
人生って本当にどう転がっていくか、わからないもんですね。
筆者プロフィール
新里カオリ
にいさと・かおり
1975年 埼玉県生まれ。
2000年 武蔵野美術大学大学院 テキスタイル専攻修了。教育関係の仕事などを経て2009年、尾道・向島に移住。株式会社立花テキスタイル研究所を創設、主宰。
向島で80年以上織られ続けている帆布を、地域から出る廃材で染めた環境配慮型の製品を製作、販売。地域で生まれたものを原料にする取り組みをしながら、糸紡ぎ、染め、織りの指導などを全国で行う。
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