割と生まれた時から人間のやることが好きじゃなかった(パンク時代と呼んでます)。
お遊戯会や、レクリエーションには参加しなかったし、公園の配色もこども騙しのようで嫌だった。
働く年齢になっても欲に囚われる人間の働きが、もう嫌で仕方なかった。
人間の世界は絶望的に見えていたから、師匠は自然。
この世で信頼できるのは自然のみである。
私にとってこの世界はそういうものだった。
かといって孤独だったわけではなく、私の周りにはいつも仲間がいて、寝食を共にしながら一緒に暮らしや仕事を作ってきた。
だから寂しくはなかったけれど、今思えば人間を知ることから逃げていたし、つまりは自分を知ることから逃げていた。
そんな私を私自身から引きはがすかの様に、祖父母の生きた土地へ移住することとなる。
(冒頭だけ読むと絶望的だけど、諦めずに最後まで読んでくださいね!)
高山村へ移住
6月6日
「天国はここにあったのか……」
畑には作りかけのインゲンの支柱と鍬が転がっている。
あたり一面祖母が植えた白い花が咲き誇り
世界はなにかを祝福するかのように
白く眩しい景色を見せていた。
田んぼの向こうにあるお墓へ、黒い服を着た親族たちに骨が運ばれている。
前日まで畑を耕していた祖父は
この土地に溶けていった。
〝死ぬことは肉体の密度が薄くなることです〟
生物学者 福岡伸一さんの言葉の通り、その景色をみたような気がした。
肉体は景色に溶けていった。
その瞬間、私はここで生きて死ぬんだと決めた。
自分と合流2020
移住してまもなく、血のつながりを超えた家族のような仲間と出会うことになる。
迷いもなく移住したのはこの人たちに呼ばれたからかと思うほどに不思議な出会いだった。
私よりも私のことを理解し愛してくれている人たち。
どんなにいいづらいことも、相手のためを思えば時には厳しく言い、それをありがとうと受け取れる関係性があって、お互いの成長を助け合うことを楽しく自然にやっている。
その人たちと過ごしたおかげで
えー??人間って……めっちゃいい……‼︎と気づき、
人の美しさ(多分それを人は愛と呼ぶ)を知った。
直感だけで移住したこの地で強烈に変化したことで、
私は私と、そして愛すべき仲間とようやく合流できたのだ。
在る森のはなし はじまり
元々は人が暮らし、畑だった場所。
薮に覆われて向こう側が見えないけれど、ボロボロの平家と古民家が1軒ずつ建っている。
2020年にこの土地を買わせていただき、薮を刈り払い、土地を均し、膿んでしまった沼地に池と小川を作り整備した。
流れるべきところに水が流れ、土地に光と風が入る。
ただその姿が見たくてせっせと働く。
(余談だけれど、この辺りの人は「土地が綺麗になるように」と働く人が多い)
手を入れ始めた頃はここで一人で暮らそうと思っていたし(危うく森の精霊になるところでした)自分の暮らしのことしか考えていなかったけれど、
ここで働いているうちに、徐々に自分と合流することができて、仲間とここで会社を起こすことになった。
この場所を『在る森のはなし』と名づけた。土地の本来の姿を引き出しどんどん美しくなっていくそのやり取りと同じように、ここに滞在する人が本来の力に気づきどんどん美しくなっていく。そんな場所にしたい。
この場で過ごす時間を身近な人だけでなくより多くの人が体験できるように、そしてここでの取り組みが世に広がって行くように、事業にしたい。
と思うようになっていったのだ。
この土地の開拓奮闘記はまた後ほど綴りたいと思う。
美しく尊いもの
食卓にさす光
風になびく稲穂の音
厳しく愛に溢れた眼差し
人の体調を案じてかける言葉
気づかい差し伸べられた手
毎日、あちこちでみる美しい光
その光のある景色を捉えて生きる毎日を過ごせますように。
この世界は美しいと、自分の命も含めてそう言えますように。
人間に希望を見出せず、自然だけ信じて生きてきたけれど、
人の美しさを知った今の私だからできること。
そう言う場所を。この土地で作っていきたいと思っています。
人と生きる
森と生きる
ここに在る、物語り
木暮 咲季
こぐれ・さき
1987年群馬県生まれ。東北芸術工科大学卒業。山形・蔵王の麓にて10年間、農、教育、手仕事などの仕事をしながら半自給自足生活。2016年秋に群馬県の高山村に移住。現在は「カエルトープ」に暮らしながら「在る森のはなし」を立ち上げ&開拓中。その他、村づくり業務、移住・定住コーディネーターの委託をうけている。