今これを書いている1月21日。
今日は大寒だというのに身体の中には春が来たよ!と何かが蠢き始めている。
春になると猛ダッシュで駆け出したくなる習性があるのだけれど、
今年はもうその予兆が訪れている。
私の身体の中だけじゃなくて、土の匂いもそう言っているから、きっと勘違いではないはず。
今これを書いている1月21日。
今日は大寒だというのに身体の中には春が来たよ!と何かが蠢き始めている。
春になると猛ダッシュで駆け出したくなる習性があるのだけれど、
今年はもうその予兆が訪れている。
私の身体の中だけじゃなくて、土の匂いもそう言っているから、きっと勘違いではないはず。
とは言え寒い……
……今から13年ほど前のこと。
当日の私はもうすぐ大学4年生になろうとしていた。
この先どうやって生きていこうか……と考えたとき、
“どの会社で働くか”ということより“どこでどのように暮らすか”にばかり関心が行ってどうにも“就職“という選択ができる気がしなかった。
祖父母の家を改装して、畑をやりながらデザイン事務所をやろう。
そうイメージしていた。
そんな時に母が雑誌で見かけて教えてくれた会社が石見銀山生活文化研究所だった。
“暮らし“と“地域”と“会社”その3つが重なり成り立っている!!
一体どうしたらこんなことができるんだ!?
私もこれがやりたい!だから行ってみよう。
当時インターンという制度もなく、
2008年秋に突然に門を叩いたのだった。
いざ大森へ!
こんなやつ会社に来たら不安になりますよね。という荷物…
大森初日。
ちょうど講演会があるからと岡山の会場で登美さんと待ち合わせをして、そこから一緒に大森へ向かった。
登美さん「なんでうちの会社に興味を持ったの?」
わたし 「暮らしや景観をこれほどに大切にしている会社がなぜ成り立っているのかが知りたかったので」
登美さん「それであなた、いつまでいるの?」
わたし 「えーと2週間くらい……」
大丈夫か!?といった具合に2週間の滞在がスタートした。
滞在中のことは機会があれば振り返りたいと思う。(恥ずかしいけど)
手編み靴下
「マサエおばあさんの手編みくつ下」今は娘たちが受け継いでいる
この時から今に至るまで群言堂と繋がり続けた理由の一つに「マサエおばあさんの手編みくつ下」がある。
お世話になったお礼に祖母のライフワークであった余り毛糸を使った靴下を阿部家で使っていただけないかと思い贈らせていただいた。
祖母は着なくなったセーターなどをほどいて、どんなに短い毛糸もまあるい玉にして、そして細いものは2本、3本と寄り合わせて靴下にしていた。
「たくさんあるからもってっとくれ」
といって見せてくれたタンスには、5段の引き出しすべて靴下でぎっちりつまっていた。
登美さんはとても気に入ってくださり、それ以降、群言堂との交流が続くこととなった。
あれから13年後
開拓中の土地で野良ワーク
自己紹介が遅れてしまったけれど木暮咲季といいます。
(一昨日に飯塚咲季からリニューアル、婚約・入籍して苗字が変わりました。木暮歴2日目)
群馬県の北西部にある高山村という小さな村に住んでいます。
今の仕事は村から委託を受けている「移住・定住コーディネーター」、
仲間たちと立ち上げ開拓中の森「在る森のはなし」、
細々とではあるけれど刺し子のブランド運営、などで生きてます。
2019年に群言堂のしゅんくん(左から二番目。その右が私)が家に来てくれました
今住んでいるのは祖父母の暮らした家。
そこで「カエルトープ」という名前のお店を家族で運営しています。
高山村は特別観光地でもないしインスタでバズるほどの絶景があるわけでもない。
けれど、峠を越えると何かが違うんだ、すぐ隣町に住んでいるけどなぜかここは美しい、
と不思議がりながら美しさを語る人が多い村です。
「暮らし」「地域」「仕事」
開拓中の「在る森のはなし」
登美さん「なんでうちの会社に興味を持ったの?」
わたし 「暮らしや景観をこれほどに大切にしている会社がなぜ成り立っているのかが知りたかったので」
登美さん「それであなた、いつまでいるの?」
わたし 「えーと2週間くらい……」
あの時の疑問、私が叶えたかった未来はなんだったのか。
とても叶えられそうにもないボロボロのパンク野郎な身なりで大森を訪れた私だったけれど
あれから様々な変化を経て、あの時描いた未来を歩いている。
そう思うと今一人で泣きそうになってます……
次回はそんな泣きそうな今、
何を想い描き、何をやっているのか。
その奮闘記などを綴りたいと思います。
筆者プロフィール
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