第十二話 きょうも丸八百貨店まで|オザキマサキさんの根のある暮らし

僕の住む滋賀県高島市朽木市場は、福井県南西部から海産物を京都へ運ぶ道(鯖街道)の、
宿場町として栄えた集落です。

その中心部には、『丸八百貨店』というレトロな建物があります。

かつては雑貨から本、下駄、呉服まで売っていた小さな百貨店でしたが、今は喫茶スペースに地域の人たちが集まる、
サロンの役割を担っています。


僕の家は、その丸八百貨店わきの路地を、70mほど入ったところにあります。

ここに住み始めてから、昼食は丸八百貨店でいただいていました。

今から10年ほど前の2011年あたり。

ちょうどモノクロ写真を撮り始めたこともあって、お昼になったらカメラ片手に丸八百貨店へ通うようになりました。

とはいっても、玄関を出て70mほど歩くと到着なので、通うというほどのことではないですよね(笑)。

まあともあれ、目をつぶってでもたどり着けそうな、70mの路地を撮り始めたのです。

繰り返しになりますが、玄関を出て70m。ほんとにあっという間に着きます(笑)。

そして、ここは山間過疎地、そうそう人は歩いていません(笑)。

しかし、それでも毎日通っていると、たま~に奇跡的な出会いに恵まれることがあります。

小さな子どもたちか、ご年配、もしくは生きものだったり、季節の変化だったり……。

たった70mのことですが、意外にいろいろな出来事があるもので、今日は何と出会えるかな?と、
毎日楽しみに玄関を出ていました。

その中でもピカイチの出会いといえば、やはり子どもたちでした。

最初は、平日の昼間にウロウロしてるけど大人なの???的な困惑が、子どもたちからみてとれましたが(笑)、
それもすぐにどうでもよくなったのか、気軽に声をかけてくれるようになりました。

何か目的があるわけではない子どもたちの遊びは最高に面白く、見ていて飽きることがありませんでした。

「子どもは宝」というのは、過疎地にこそ響く言葉だと思います。

人けの少ない静かな集落に、子どもたちのケタケタと笑うかん高い声が、どれほどの安らぎをもたらしてくれていたことか。

また毎日通っているうちに気づいたこともありました。

玄関を出て70mなので、子どもだけでなく、大人のご近所さんにも出会う機会は多くなります。

当然ちょこちょこ挨拶を交わします。

そのうちに「昨日までどこ行ってたんや?」「撮影で3日ほど和歌山行ってたんですよ」というような会話を交わすようになるのです。

このたぐいのコミュニケーションのことを、過干渉ととらえる人もいるかもしれません。

でも僕にとっては、なんだかとてもうれしいやりとりのように思えたのです。

その喜びは、「僕のことを知っている人たちの中に僕がいる」ということ。

一見当たり前のように聞こえますが、実は僕たちが生きていくうえで欠かすことのできない、
とても大きなことではないのかと気がついたのです。


そして今回のコロナ禍でも、人と会うという当たり前のことがどれだけ大切か、
またそれを僕たちがどれほど求めているか……、再認識させられた気がします。

早くコロナが収束して、人と会うという、当たり前だけど大切なことができる日が来ることを願うばかりです。

あっという間でしたが、今回のお話で最終回となりました。

ここまで読んでいただいて、ありがとうございました。

もし皆さまのお近くで、僕が個展などしておりましたら、ぜひ遊びにきていただけると嬉しく思います。


またこのコラムを書く機会をくださった松場忠さん、三浦編集長、木村さんには本当にお世話になりました。

ありがとうございました。



筆者プロフィール

オザキ マサキ

1974年広島県呉市生まれ。滋賀県高島市在住。写真家。「子どもが子どもらしくいれる社会」をテーマに、ドキュメンタリーやポートレートの分野で活動中。写真集に「佐藤初女 森のイスキア ただただ いまを 生きつづける ということ」がある。HP:www.ozakimasaki.com

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