僕は普段そのほとんどを、びわ湖の周辺で撮影しているのですが、ときどきご縁があって、遠くの土地に通い写真を撮らせていただくことがあります。
2019年の秋に群言堂さんの本店で、写真展を開催させていただいた『佐藤初女(さとうはつめ)』さんがそうです。
僕は普段そのほとんどを、びわ湖の周辺で撮影しているのですが、ときどきご縁があって、遠くの土地に通い写真を撮らせていただくことがあります。
2019年の秋に群言堂さんの本店で、写真展を開催させていただいた『佐藤初女(さとうはつめ)』さんがそうです。
群言堂本店での写真展
佐藤初女さんのことを、ご存じない方も多いかと思います。僕も初めてお会いするまで知りませんでした。
知らない方を突如撮ることになるのだから、写真家という生業は実に面白いものです。
初女さんは2016年に94歳で亡くなられましたが、もし今も生きていらっしゃったら100歳。
日本のマザーテレサと呼ばれていたクリスチャンで、老人ホームの後援会や弘前カトリック教会での奉仕活動を母体に、1983年、弘前市内の自宅を開放して『弘前イスキア』、1992年には岩木山麓に『森のイスキア』と名付けた施設を開設されました。
そこで初女さんは、助けを求めるすべての人を無条件に受け入れて、食事と生活をともにしながら、病気や苦しみなど、様々な悩みを抱える人々の心に、生涯をとおして耳を傾けてこられました。
そんな初女さんの活動やおむすびが、ドキュメンタリー映画『地球交響曲 第二番』で紹介されたことから、初女さんは全国から招かれて、講演会やおむすび講習会をされていました。
僕が初めて初女さんにお会いしたのは、2013年の秋。91歳の初女さんが、講演会とおむすび講習会のために、滋賀県に来てくださったとき、撮影を担当したのです。
おむすび講習会の様子
初女さんのことを何も知らないまま、写真を撮らせていただいた僕の率直な感想は、「ごくごく普通の穏やかなおばあちゃん」というものでした。
しかし淡々と、静かで、そして丁寧なそのお姿には、ちょっと不思議な雰囲気がありました。
講演会が終わったあとも、僕は初女さんのあの不思議な雰囲気が気になっていました。そして初女さんがどんな日常を過ごされているのか、見てみたいと思うようになりました。
そこで講演会を主催されたブルーベリーフィールズ紀伊國屋の岩田康子さんとともに、日常を撮らせていただけないか、お願いすることにしました。
写真撮影は相手の方に負担を強いるため、初女さんの体調は大丈夫だろうか?と、迷いながらの打診でしたが、ありがたく許可をいただきました。
しかし初めて撮影に伺う日程が決まった途端、僕は強烈なプレッシャーにおそわれたのです。
「本当に僕が初女さんを撮ってもいいのだろうか?」
この質問が、頭の中でくり返されましたが直前に、ある種のあきらめを得て、なんとか前向きな気持ちで向かうことができました。
森のイスキアの玄関
青森県の弘前駅につくと、目の前に美しい岩木山が出迎えてくれました。
岩木山麓を目指し、『森のイスキア』へ。中に入ると初女さんは、カウンターで手仕事をされていました。
講演会で拝見したときと変わらず、淡々と、静かで、丁寧に手を動かされています。何も話されません。
ただただ……、そう、ただただ手を動かされているだけですが、初女さんの周りには、独特な緊張感が漂っていました。
そんな初女さんの日常を撮りに、青森へ通うようになったのです。
カウンターで作業中の初女さん
青森へは、いつも福井県敦賀港からフェリーに乗って秋田港までいき、そこから在来線で北上しました。
ご高齢の初女さんは、歩くことも大変なお体でした。
宿泊に来られる方々の食事の準備、執筆活動、突然相談に来る人への対応、その他いろいろ。
想像を絶する量のお仕事に、全身全霊で向かわれていました。
ある早朝、前夜も宿泊の方々と、遅くまでお話をして帰宅された初女さんが、煮しめの入った大きな鍋を持参されました。
僕が何気なく「先生、その煮しめはどうされたんですか?」と聞くと、「今日の新しいお客さんが、若い女学生の子たちなの。食べさせてあげたいと思って。」と、さらりと言われ、僕は絶句してしまいました。
この激務の中、しかもあの時間からだと、ほとんど寝てないのでは?そしてこのお歳でそこまでされるのか……と。
持ってこられた煮しめ
のちに、初女さんの遺された数々の書籍を読んでいくなかで、つぎの一節を見つけました。
「おいしいものを他の人にも食べてもらいたい。」と。
僕は訪れていた間に、何度かこのようなシーンに遭遇しましたが、そのたびに、底の見えない深海をのぞいたような感覚になりました。
佐藤初女さんてどんな人?と、よく聞かれます。でもその返答にいつも困ります。
正確に言うと「わからない」からです。
初女さんの見ている世界が、自分の体感としてうまく想像できないのです。
僕は、わからないまま初女さんに出会い、わからないまま写真を撮って、わからないまま今に至ります。
いまだに何もわかっていないわけですが、写真展をとおして初女さんを知るきっかけをつくることだけは、僕にでもできることだと思い、全国を巡回しています。
もう初女さんに会うことはできません。しかし初女さんは多くの言葉を残されていて、今でもその中で初女さんに会うことができると思うのです。
もし何か気になられた方は、ぜひ一度初女さんの言葉にふれてみてください。
筆者プロフィール
オザキ マサキ
1974年広島県呉市生まれ。滋賀県高島市在住。写真家。「子どもが子どもらしくいれる社会」をテーマに、ドキュメンタリーやポートレートの分野で活動中。写真集に「佐藤初女 森のイスキア ただただ いまを 生きつづける ということ」がある。HP:www.ozakimasaki.com
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