前回、前々回と2回に渡って妻の理子が外から来た視点で浜の魅力について綴ってくれた。
妻は、私が自分では当たり前に思っていたことを楽しんだり、喜んだりしてくれるのでこちらも嬉しくなる。
やはりその土地の魅力を引き出すためには内側と外側両方からの見方が大事だと改めて思う。
ここからはまた亀山にペンを戻すことにする。
今年はコロナ禍であるが素敵な出会いが多い。インダストリアルデザイナーの益田文和先生もその一人だ。
先生は大量生産のプロダクトを世に向けて作り続けてきたが、次第に、利益を得るためにもっともっとと消費者を駆り立てて、まだ使えるものを捨てさせてまでものを売ることに疑問を持つようになったそうだ。
今でこそサスティナブルという言葉はよく聞くようになったが、先生は日本がまだ高度経済成長の真っ只中の時代に、地球環境に配慮するための国際会議を開くなど先駆けて活動をされてきた。
しかしながら世の中が変わらないことに痺れを切らして、サスティナブルデザインをテーマとし、東京から山口へと拠点を移し、自らのオフィスをオフグリッドにしてしまった。
今ではそこに世界各国から研修生が訪れているそうだ。
益田先生が蛤浜を訪れたとき、「君たちがやっていることはブリコラージュだね」と言ってくださった。
ブリコラージュ?と聞きなれない言葉の意味を聞くと
「フランスの言葉で日本語では一言で表しづらいんだけど、自分でものを修繕したり、あるもの、寄せ集めのもので作ることをいうんだよ」と教えてくださった。
これはとてもエコでサスティナブルなのだと。さらにブリコラージュする人や職人のことをブリコルールと呼ぶそうだ。
なるほど。
自分たちはお金がないからあるもので工夫してきたが、活動を続けるうちに、新しいものを買うよりもあるものを活かすこのやり方が、味があって良いなと思い始めていた。
益田先生から「ブリコラージュ」という言葉を教えていただいて、自分たちが身近にある色々な素材を活かそうと取り組んできたことが、とても意味のあることなのだと腑に落ちた瞬間だった。
はまぐり堂や隣の高見の改修、竈門、工房、ツリーハウス、間伐材を使った家具やトレー、野生鹿の革のアクセサリー、小物など。自分たちが作ってきたものには、DIYより広い意味を持つブリコラージュという言葉がしっくりきた。
思えば浜の人たちは昔からブリコラージュしていたではないか。
震災のときも浜の人たちはすぐに風呂やトイレなどを、あるものを工夫して作っていて、とてもたくましく見えた。
使わなくなった網やパイプ、端材などで作った鹿よけの柵や牡蠣養殖の浮きを切って作ったプランターなど、私は今までなんとなく「ダサいなあ」と思って見ていたが、「ブリコラージュ」という言葉を知ってからは、なんだかその佇まいがとてもかっこよく見えてきた…
自分も子どもの頃、近くにお店がないので海や山にあるもので工夫して遊んでいたことを思い出した。
竹林に拾ってきたロープやブイを使って作った秘密基地や捨てられていたカップラーメンの容器を使って潮だまりにいる魚をとり、ミニ水族館を作ったことなど。
買ってもらったおもちゃはすぐ飽きるけど、自分で作る遊びは飽きずに延々とできた。
スタッフの一人に自然採集作家を名乗るメンバーがいる。
大潮のときになると妻の理子とソワソワし始める。
二人は波打ち際に打ち上げられた貝や流木、シーグラスなどを取りに行くことが大好きだ。
気がつけば、子どものように時間も忘れて夢中になって拾っている。
それらを活かしてピアスやイヤリング、ブローチなどのアクセサリーをsawakaというブランドにして販売している。
オンラインショップでは大潮の日しか販売しないというなんとも非効率な売り方だ。
また最近は穴が空いている貝や石、流木に鹿革を使って顔をつけ、一人一人に物語をつけるiyasakaというシリーズも作り始めた。
どちらも浜にあるものを活かした作品であるが、それを通して浜の自然を身近に感じてもらったり、子どもの頃のワクワクする気持ちを思い出してもらえたらと思っている。
亀山 貴一
かめやま・たかかず
石巻市蛤浜で生まれ育ち、宮城県水産高校の教師となる。震災によって2世帯5人まで減少した蛤浜を再生するため、2012年3月に蛤浜再生プロジェクトを立ち上げる。2013年3月に退職し、cafeはまぐり堂をオープンする。2014年4月に一般社団法人はまのねを立ち上げ、蛤浜の魅力や課題を活かした事業づくりに取り組んでいる。