前回に引き続き第10話も亀山に代わり、妻の理子が浜の暮らしで感じたことを綴ります。
仙台出身で東京の大学へ行き、浜とは縁のない環境で育ったからこそ、自分では当たり前のことも面白がってくれています。
亀山とは違った視点での浜の暮らしをお届けします。
前回は、浜に嫁いだ私から見た「浜の暮らし」の魅力について綴ってみた。
今回は、どうして私が蛤浜に辿り着き、なぜこんなにも浜での暮らしに魅力を感じているのか、その道のりについて書いてみようと思う。
前回に引き続き第10話も亀山に代わり、妻の理子が浜の暮らしで感じたことを綴ります。
仙台出身で東京の大学へ行き、浜とは縁のない環境で育ったからこそ、自分では当たり前のことも面白がってくれています。
亀山とは違った視点での浜の暮らしをお届けします。
前回は、浜に嫁いだ私から見た「浜の暮らし」の魅力について綴ってみた。
今回は、どうして私が蛤浜に辿り着き、なぜこんなにも浜での暮らしに魅力を感じているのか、その道のりについて書いてみようと思う。
私もネイティブジャパニーズになりたい
そもそもの始まりは、東北を離れて上京した学生時代にある。
当時私は、都会での一人暮らしにも、何千人もの学生が行き交うキャンパスライフにも馴染めないまま日々を過ごしていた。
授業の合間にはキャンパスから抜け出して近くの神社や庭園を散歩し、公園の木の下でお昼を食べているような学生だった。
散歩する他には、読書に没頭し、世界中の先住民族の人々の、自然とともに暮らす生き方に心焦がれた。
浜の恵みでバーベキュー
本を読む中で一つの大きな出会いがあった。
それは、「ネイティブ・ジャパニーズ」という言葉との出会いだった。
ネイティブ・アメリカンの知恵や物語を伝える作家・北山耕平さんが著書の中で語っていたその言葉に、私は強い衝撃を受けた。
日本列島にも、古く “縄文”と呼ばれる時代から、自然とともに生きてきた「ネイティブ・ジャパニーズ」がいたのだ。
ゼミの先生に同行してインドの村を旅したり、ネイティブ・アメリカンに憧れてアメリカを一人旅したりと、どこか遠くのほうに自分の居場所を探していた私は、このときから「自分が生を受けた日本のことをもっと知りたい」と思うようになった。
そんな私の「ネイティブ・ジャパニーズ」への興味は、徐々に「日本の農漁村の食や文化」へと繋がってゆく。
卒業論文は、東北の民俗学者・結城登美雄さんの著書に触発されて、山形県真室川町の「食の文化祭」をテーマに取り上げた。
地元のお母さんたちが家庭料理や保存食を一堂に持ち寄り、地域の食の豊かさを皆で再発見しようという取り組みだ。
そのとき振る舞われた、山で採れたくるみを使ったくるみ餅の味は今も忘れられない。
石巻にて結城登美雄さんとの再会(右から2番目が筆者、左端が夫の亀山貴一)
そんな学生生活を送る中で、食についてもっと学びたいという気持ちが大きくなっていった私は、大学を卒業後、調理の専門学校に入学した。
専門学校ではフレンチやイタリアンなどの洋食を専攻した。料理を勉強するのであれば、広く世界の食にも触れてみたいと思ったのだ。
そのおかげでフランスやイタリアの郷土料理にも出会うことができた。
野菜や肉の煮込み料理、スープやチーズ、ハム…どんな国でも、その土地土地の郷土料理には自然とともに暮らす人々の知恵がつまっていると知った。
定置網作業後の朝食は格別!
専門学校卒業後はフレンチレストランに就職したのだが、そこで料理界のブラックな面に直面した私は、あっという間に疲弊し、挫折した。
この出来事で、私はそれから一年以上包丁すら握ることができなくなってしまった。
東京を離れ、実家で療養する日々。どうにか立ち直れたのは、天然酵母のパン屋で働かせてもらうようになったことが大きなきっかけだった。
宮城の田舎町にある小さなパン屋での仕事は、私に再び、自然とともにある食の素晴らしさを思い出させてくれた。
旬の作物を使ったパンを焼くかたわら、農家さんを訪ねて一緒に野菜や果物を収穫したり、地元のお母さんたちにも関わってもらい、里山の恵みを楽しむ「里山カフェ」というイベントの企画もした。
料理ができなくなっていた私を、東北の豊かな自然の恵みと、温かな人たちが救ってくれた。
なんて遠回りをしたんだろうとも思うが、私はようやく原点に立ち返った。
このときの喜びは、パン屋から卒業して石巻に移住し、「はまぐり堂」で働くようになった今現在も、自分が食の仕事にたずさわる原動力になっている。
里山カフェの一コマ
長い道のりを経てたどり着いた蛤浜。
このあたりに暮らす人たちは、海で魚や海藻を採り、山で果物や木の実、山菜を採る。
お米や野菜は農家さんとの物々交換。貨幣経済だけに頼ることなく、「今日は何が採れるかな」と日々の季節仕事を楽しむ人たちの姿に、狩猟採集をしながら生きてきた古の人々が重なる。
私が大学生の頃に憧れていた「ネイティブ・ジャパニーズ」はここにいたのだ!
そのことに感動しながら、今日も私は浜の達人たちに教わってネイティブ修行の日々を送っている。
亀山さんが震災後10年間の歩みを綴った書籍「豊かな浜の暮らしを未来へつなぐー蛤浜再生プロジェクト」もぜひご覧ください!
筆者プロフィール
※今回は亀山理子さんが執筆しています。
亀山 貴一
かめやま・たかかず
石巻市蛤浜で生まれ育ち、宮城県水産高校の教師となる。震災によって2世帯5人まで減少した蛤浜を再生するため、2012年3月に蛤浜再生プロジェクトを立ち上げる。2013年3月に退職し、cafeはまぐり堂をオープンする。2014年4月に一般社団法人はまのねを立ち上げ、蛤浜の魅力や課題を活かした事業づくりに取り組んでいる。
- カテゴリから探す -
衣着て楽、見て楽の服
食丁寧に、味わい深く。
住暮らしを紡いでゆく
- シリーズで探す -
- 素材で探す -
© 石見銀山 群言堂 All Rights Reserved.