今回は亀山に変わり、妻の理子が浜の暮らしで感じたことを綴ります。
仙台出身で東京の大学へ行き、浜とは縁のない環境で育ったからこそ、自分では当たり前のことも面白がってくれています。
亀山とは違った視点での浜の暮らしをお届けします。
はまぐり堂のスタッフとして働き始めて5年、はまぐり堂を立ち上げた夫・亀山貴一とともに蛤浜に暮らし始めて早3年目になる。
石巻にも、海辺の暮らしにも全く縁のなかった私が、さまざまなご縁をいただいて、今では牡鹿半島の入り口、3世帯7人の小さな浜の集落の一員として暮らしている。
目の前に海、家の裏はすぐ山、という大自然の中での暮らしには、街中で暮らすのとは全く違った豊かさ、面白さがある。
茹でる前のヒジキの色は真っ黒ではなくて濃い緑色で、鉄を入れた鍋で煮るから黒くなるんだということ。
船の上から箱眼鏡で海底を覗きながら長いタモでナマコをとる作業は、まるでUFOキャッチャーのようで毎回ワクワクしてしまうこと。
網から外しているときにシャコが繰り出してくるパンチはとんでもない威力だということ。
獲れたてのトビウオの羽と背の青い鱗は、まるで宝石のように輝いて本当に美しいこと。
生きているタコが腕に巻きつくと、吸盤の跡が腕にびっしりつくくらい力が強いこと。
海とともにある暮らしは、私にとっては一つ一つが新鮮で、発見の日々だ。
そんな中でも、とりわけ私にとって大きな発見だったことがひとつある。それは、浜で暮らす先輩方の言葉の節々から浮かび上がってくる、生き方のコツ、人生を楽しむ方法である。
「今日夕飯食べにございん(食べにおいで)」。夫が漁の師匠と仰ぐ隣浜の漁師さんご夫婦は、時々私たちを夕飯に招いてくださる。
2人は、よそから来た私にとって、浜の暮らしの大先輩だ。浜で獲れる旬の魚介の美味しい食べ方や、漁をするときの工夫についても教えていただいたり、「子供の頃の浜の行事にはこんなものがあった」「外国で漁船に乗っていた時にはこんな素晴らしい景色を見た」というような思い出話もたくさんしてくださる。
いつも食卓を囲みながら「ここに暮らしていると本当に毎日面白い、楽しい」と笑って話してくださる。
私も夫も、そんな2人にいつも御馳走と一緒に元気をたくさんいただく。
そんな食卓で、あるとき「季節ごと、毎日毎日、海のいろんなもの、山のいろんなものがとれるから、それを今日はどうやって食べようか、そればっかり考えていつも動いているから、悩んでいるヒマが全然ないのよね。みんな、色々悩みがあるっていうけれど、何に悩んでるのかしら」と奥さんから聞かれたときには、私はびっくりしてしまった。
それにかぶせるように、漁師さんも「毎日海行って、体動かして、メシ食べて、あと寝たら、もうそれで元気になるんだから。それが一番だな」と笑う。
私は、自分が、もやもやと何かに悩んだりすることは、生きていく上では不可避なことだと思っていたことに初めて気がついた。
もちろん、漁師さんご夫婦もこれまでの長い人生で大変なことは数え切れないほどあったのだと思う。でも、2人は「悩むヒマがあったら動く、ご飯を食べる、寝る」というシンプルな方法で、人生を楽しみながら生きてきた人たちなのだ。
浜で漁をして、動くとお腹が空くので美味しくご飯が食べられる。頭でっかちにならずに、体をたくさん動かせば、よく眠れる。
それが、最高の元気のもとなのだと、浜の大先輩たちから教わった。そんな簡単なことだったなんて。
でも今まで頭で考えることが染み付いていた私には気づけなかった方法だった。
爽やかに「悩みって何?」と言い切る大先輩たちを見習って、私も「悩むヒマがないほど毎日面白い」浜の暮らしをどんどん深めていきたいと思っている。
亀山 貴一
かめやま・たかかず
石巻市蛤浜で生まれ育ち、宮城県水産高校の教師となる。震災によって2世帯5人まで減少した蛤浜を再生するため、2012年3月に蛤浜再生プロジェクトを立ち上げる。2013年3月に退職し、cafeはまぐり堂をオープンする。2014年4月に一般社団法人はまのねを立ち上げ、蛤浜の魅力や課題を活かした事業づくりに取り組んでいる。