地方で昔からつづいてきた文化は、どっぷりと浸かってみると、外から眺めていただけではわからない、なんとも深い味わいがあります。
一度なくなりかけた村の夏まつりを、再び盛りあげることに成功し、一緒に運営してくれる仲間も増えていくなか。人員に余裕が生まれたことで、さらに盆おどりの復活にも取り組むことになりました。
集落での小さな夏まつりでは、盆おどりに不可欠な、音頭の伝承はすでに途絶えていた為、他の地域の方に演奏をお願いしていたからです。「でもやはり集落の盆おどりは、集落の者の演奏で行いたい」と、新たに音頭班のメンバーを募り、歌の上手いサカイダくんにまとめ役になってもらって、自分たちだけで完結できる盆おどりの復活へと動き出しました。
このあたりの音頭は、地域独自の高島音頭と、東近江(滋賀東部)発祥の江州音頭のふたつがあります。
いきなり二つともトライするのは厳しいだろうと、どちらかというと易しそうな江州音頭から取り組むことにしました。が、大変なのはここからでした(笑)。当たり前と言えば当たり前ですが、伝承されていないということは、誰からも教えてもらえないということです。初めて音頭班が集まった日、江州音頭のCDをセットして、意気揚々と再生ボタンを押してみたものの、一体何から始めればいいのか分からず、スピーカーから江州音頭が、ただ流れているだけの時間がつづきました。これはかなりヤバい。一度途絶えた伝統文化を、一から掘り起すことの難しさを、メンバー全員が感じた瞬間でした。
なんとか突破口を見つけなければ……。焦った僕は、江州音頭を教えてくれる人を探すことにしました。ほうぼう当たった末、京都大原に江州音頭の名取りさんがいると聞き、その方の稽古場にお邪魔させていただくことになりました。
稽古場で出迎えてくださったのは、女性の師匠。「江州音頭を教えてほしいって?」と聞かれ、「はい、一度途絶えた村の盆おどりを復活させたくて、全員素人ですが、2カ月後の夏まつりで僕たちの音頭を披露したいんです」と伝えると、大笑いした後に師匠が「そんな馬鹿なこと言ってきたの、あんたが初めてやわ(笑)。2カ月でってまず無理なんやけど、面白いから教えてあげてもいいわよ」と、優しく受けとめていただきました。
その直後に「太鼓がしっかりしていれば踊れるから、まずあなたが太鼓を覚えなさい」とバチを渡されて、特訓がスタート。他にも音頭とりの唄いはじめのコツも教わりました。僕は師匠に教わったコツを、音頭班のみんなに伝えながら、それぞれが一節、二節と少しずつ少しずつ覚えていきました。
しかし師匠が大笑いするのも当然で、全員素人がたった2カ月で、音頭が取れるようになるほど甘くはなく、夏まつりがあと1週間にせまっているのに、まだまだ通しで唄いきれる状態ではありませんでした。それでも楽しみにしてくれている村の人たちがいるので、このまま勢いでいくしかありません。
あっという間に夏まつり当日。夜店には多くの人が集まり、準備万端ととのった状態で盆おどりの時間となりました。いまさら下手なのはどうすることもできないけど、勢いだけは全開でいこう!と音頭班のみんなで気合を入れ、「あ、こりゃどっこいせ~」「こら、しっかりせ〜」と、盆おどりがスタートしました。
はじまってからのことは、実はあまりよく覚えていないのですが(笑)、踊り手が櫓(やぐら)を中心に、渦巻のようにグルグルまわる様子を演奏しながら見ていると、不思議な感覚に陥ったことを覚えています。
踊り手さんの一人一人が知った顔なら、演者の面々もよく知った顔で。みんな近所の知った顔同士なのに、非日常の空間をともにすることで、何とも言えない高揚感と一体感に包まれたのです。
1時間ぶっ通しの演奏が終わり、「あんたら頑張ってたから、久しぶりに踊ったわぁ」とおばあちゃんたちにも喜んでもらえて、結果的に大成功の盆おどりとなりました。そして今では江州音頭と高島音頭の2曲とも、自分たちで音頭を取れるようになり、老若男女が踊ってくれる盆おどりになりました。
僕はここ高島で写真を撮ることを生業としていますが、実はこうした夏まつりや盆おどりを残す活動をすることと、写真を撮ることは、僕の中ではそれほど変わりがありません。そこに共通するのは「なくなってほしくないけど、もう最後かも……」というもの。なのでどっぷりと浸かって、なかから味わいたいと思っています。
皆さんもいまいる場所で、もしそのような機会がありましたら、騙されたと思ってぜひ一度どっぷりと体感してみて下さい!
オザキ マサキ
1974年広島県呉市生まれ。滋賀県高島市在住。写真家。「子どもが子どもらしくいれる社会」をテーマに、ドキュメンタリーやポートレートの分野で活動中。写真集に「佐藤初女 森のイスキア ただただ いまを 生きつづける ということ」がある。HP:www.ozakimasaki.com