第七話 じいちゃんは憧れのヒーロー|亀山貴一さんの根のある暮らし

私がなぜ今もこの浜で暮らし、小漁師をやっているのか。母方の祖父「亀山昭雄(テルオ)」この人の存在なしには語ることができない。

漁師だったじいちゃんは浜の暮らしを楽しんでいて、おばあさんと畑をやったり、野鳥を捕まえて飼ったり(今は禁止)、沢水を引いて庭に池を作ったりしていた。

また、なんでも自分でやっていて、小屋をつくるのは朝飯前、気がついたら家が拡張されていることもあった。私は子どもの頃からそんなじいちゃんのライフスタイルに憧れていた。むしろ夢は早くおじいさんになることだった。

今回は私のルーツであるじいちゃんについて紹介したいと思う。

おじいさん(奥中央)

じいちゃんは蛤浜で生まれ育ち、中学を卒業するとすぐに船に乗った。主にカツオやマグロ、イワシ、サバといった回遊魚を獲るために海外へも行っていた。

漁船には船長とは別に漁労長という役職がある。じいちゃんはこの漁労長をやっていた。船長は船を動かす責任者だが、漁労長はどこでどうやって魚を獲るのかを決める大事な役割だ。

ソナーも魚群探知機もない時代、勘だけを頼りにバンバン魚を獲り、家を現金で建てるほど羽振りが良かったようだ。しかしながら、乱獲による資源の減少と勘から最新機器への変化を機に50代半ばで船を降りた。

ちょうどその頃、私が生まれた。

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船を降りたじいちゃんは浜で小漁師をするようになった。

小漁師は岸近くで季節ごとに変わる魚種に合わせて漁をする。春は刺網でシャコ、夏から秋はカゴでアナゴやマダコ、冬は底引き網でナマコを狙う。

一部は市場や父が営む魚屋で売ったりするが、ほとんどは賄いや人にあげたりする。そのため、子どもの頃のおやつはエビやカニ、ツブなどでご飯のおかずもほとんど魚介ばかりだった。

小さい頃は大好きで全部食べていたが、食べ過ぎがよくなかったのか、気がついたときには嫌いになってしまっていた。今考えると贅沢な悩みである。

私が小学生になると一緒に釣りをしたり、漁についていくようになった。食べるのは嫌いになっていたが、獲るのは本当に楽しくて朝も海に行くなら4時でも起きることができた。

特に定置網はメバルやタナゴ、コノシロのような小魚から、マダイやヒラメ、ヒラマサといった大物も入り、20種類くらいの魚種が生きたまま獲れるので網をあげに行くときいつもワクワクしていた。

釣りも船に乗って近くの磯やカキの養殖いかだに行けばクーラーボックス1杯くらいはいつも釣っていたが、夏から秋はとっぱ引き(トローリング)といって擬似餌を船でずっと引っ張りながら、陸が見えないくらい沖まででた。

これが面白くて、まず双眼鏡で鳥の群れを探す。鳥が群がっている下にはイワシなどの餌になる魚がおり、ワラサ(ブリの幼魚)やサバ、ときにはシビ(本マグロの幼魚)が釣れることもあって魚が掛かる瞬間は大興奮である。

学生にも小漁師の楽しさと海の課題を知ってもらいたい

妻もすっかり浜の人

友達は牡蠣屋さんの息子が多く、あまり楽しそうではなかったが、私は色々な魚を獲ることが楽しくてじいちゃんのような小漁師になりたいと思っていた。

しかしながら、趣味のようなこのスタイルは年金があるからできるわけで、現実的ではなかった。母親からはこれから漁業も商売も大変だから公務員になりなさいと言われ、「ただここで魚とって暮らしたいだけなのに、なんでできないのかなあ」と子どもながらに思っていた。

そんな経験からいつしか、昔のようなたくさん魚がいる海にしたいと研究者を目指すようになり、最終的には水産高校の教員になった。教員になったことをじいちゃんは喜んでくれた。

社会人になってからも休みにはじいちゃんと釣りに行ったりしたが、そう長くは続かなかった。

元気だったじいちゃんは82歳で肺ガンで亡くなった。周りにあまり迷惑をかけることもなくさすがだった。最後に病院であったときの一言は「たっか〜、納屋にアナゴのカゴあるから持っていけ〜」最期まで漁師だった。

それからまもなく震災があり、すっかり浜の姿は変わったけれど、私は今、憧れていたじいちゃんのライフスタイルをやっている。

自分で獲ったものをいただく。これが浜の食卓


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筆者プロフィール

亀山 貴一

かめやま・たかかず

石巻市蛤浜で生まれ育ち、宮城県水産高校の教師となる。震災によって2世帯5人まで減少した蛤浜を再生するため、2012年3月に蛤浜再生プロジェクトを立ち上げる。2013年3月に退職し、cafeはまぐり堂をオープンする。2014年4月に一般社団法人はまのねを立ち上げ、蛤浜の魅力や課題を活かした事業づくりに取り組んでいる。

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