カメラを手にして間もない頃、周りにおだてられて(笑)、写真の道を歩むことになったわけですが、その時すでに僕は34歳。
芸大の写真科を出て、東京の写真スタジオに入ったのち、有名写真家に弟子入りして修行し、数年後自らも写真家として独立する、という王道を歩めるような年齢ではありませんでした。
カメラを手にして間もない頃、周りにおだてられて(笑)、写真の道を歩むことになったわけですが、その時すでに僕は34歳。
芸大の写真科を出て、東京の写真スタジオに入ったのち、有名写真家に弟子入りして修行し、数年後自らも写真家として独立する、という王道を歩めるような年齢ではありませんでした。
もし昔の自分だったら、この状況を「無理や、スタートが遅すぎて勝てへん……」と、見えない相手と勝手に競争したり、有名になること自体を成功ととらえたりして、写真の道に進むことが、できなかったんじゃないかと思うことがあります。
幸いにも「自分が楽しいことをする」という、他者との競争ではない、プロセスそのものに価値をおくとらえ方に変わっていたことで、何のためらいもなく、写真の道に入ることができました。
とはいっても都会とは違い、田舎には写真を学べるところなどはなく、独学でやっていかざるを得ませんでした。
しかし、そんな写真の道を歩みはじめた頃にひとつだけ、勉強させてもらった場所がありました。そこは、うちから車で45分ほど南の、大津市仰木町にある「山口写真館」という小さな写真館でした。
店主の山口さんは、地元の小学校や幼稚園の行事に写真を撮りにいく、写真屋のおっちゃん。いわゆる学校写真というジャンルの仕事をメインにされていました。
その山口さんに連れられて、初めて小学校の撮影に行ったときのことを、今でもよく覚えています。
駐車場に車を止め、カメラを手に校舎内に入っていくと、山口さんを発見した子どもたちが「おっちゃん、おはよう!」「おっちゃん、撮って撮って!」と、次々と声をかけてくるのです。
「おっしゃ撮ったろ!そこに立てそこに。よっしゃいくで!カシャッ」と、子どもたちの声にこたえるうれしそうな山口さんと、撮ってもらえてうれしそうな子どもたち。そんなやり取りが、山口さんが行く先々で繰りひろげられました。
その光景を真横で見ていた僕は、「写真て、人と、こんな関わり方ができるんや!」と、まさに目からうろこが落ちるようでした。
山口さんからは、写真の撮り方など技術的なことは、あまり教えてもらいませんでしたが、人と、カメラと、人のあいだでおこる、写真の可能性というか、喜びというか、うまく言葉ではいえないけど、写真をやっていく上で、もっとも大切なものを教わったように思います。
筆者プロフィール
オザキ マサキ
1974年広島県呉市生まれ。滋賀県高島市在住。写真家。「子どもが子どもらしくいれる社会」をテーマに、ドキュメンタリーやポートレートの分野で活動中。写真集に「佐藤初女 森のイスキア ただただ いまを 生きつづける ということ」がある。HP:www.ozakimasaki.com
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