第三話 浜を活かして|亀山貴一さんの根のある暮らし

3世帯しか住んでいない辺鄙な土地にも関わらず、はまぐり堂はオープン初日からたくさんの人で賑わった。

それは、特に宣伝をした訳ではなく、瓦礫の撤去からカフェができるまで関わって下さった方々が口コミで広めて下さっていたからであった。

当初、新築を考えていたがお金が集まらず、仕方なく自宅であった築約100年の漁師の家に変更にしたことが功を奏した。

ずっと暮らしていると当たり前すぎて気がつかない魅力が多くある。うまく行かなくてそうするしかなかったことが結果的に響いたことや客観的な視点を持っている県外出身のメンバーがいたことで少しずつそのポイントがわかってくるようになった。

浜の昼ごはん:季節で獲れる魚介を主菜に

カフェを通して「豊かな浜の暮らし」を伝えていきたい。始めは被災してバラバラになった住民が集まれる場として考えていたが、やっていくうちにどんどんその想いが強くなっていった。

メニューには季節ごとに獲れる魚介を主菜にして、副菜には山菜やいただきものの野菜も添えて。厄介者だった鹿もカレーにして人気になった。登美さんに教えてもらった愛農釜で炊いたご飯でつくったおむすびもなくてはならない存在だ。

料理人が変わるごとにそれぞれが工夫して浜の素材をアレンジしてくれた。お客さんに楽しんでもらいたいのはもちろんだが、自分たちで魅力を掘り起こしていく過程がとても楽しかった。

鹿カレー:学生が卒業制作で作ったケヤキの器で

登美さんに教えていただいた愛農かまどを自作

カフェができたことで1年前の絶望的な状況が大きく変わっていくことになる。

被災した限界集落に突然出現したカフェはメディアにも度々取り上げられるようになった。そうするとまた色々な人が一緒になって「浜へ人を呼ぼう」と協力してくれるようになった。

例えば、浜辺に流れついた流木でクラフトをするワークショップや森に作ったデッキでヨガをしたり、絵や写真などの個展を開いてくださる方もいた。

その様子を見て、直接一緒にはできないと言っていた浜のお母さんたちも浜料理を振る舞う機会をつくってくれたりと少しずつ雰囲気も変わっていった。

流木クラフト:浜で素材集め

どんどん勢いに乗り、カフェは大繁盛。週末は県外から訪れる方も多く、1時間待ちの行列ができるほどに。人手が足りなくなり、戻って来られなかった幼なじみや地元組を雇用できるようにもなった。

資金も集まるようになり、ツリーハウスやキャンプ場の建設、自然学校の実施、空き家を買取り、宿への改修などカフェを始めてからわずか2年で次々と思い描いていた絵が実現していくことになる。

ツリーハウス:ほぼ日の糸井さんのプロジェクトで

しかし、このとき大きな問題が発生した。

住民や地権者から苦情、不満が噴出したのである。原因は多すぎる来客や夜までうるさくなり、静かな暮らしが失われていったこと。次々と来てくれるボランティアの受け入れや事業拡大で丁寧なコミュニケーションを取れなくなったことであった。

良かれと思ってやってきたことが、思いとは反対に迷惑になり、苦痛を与えてしまっていた。

上がっていく周りからの評価とは裏腹にこの時は本当に辛かった。皆が前職や私財を投げ打って力を注いできたプロジェクトがこのような形になり全員のモチベーションが一気に下がった。

幻になったキャンプ場

「さて、これからどうしていったら良いのか…」

周りからの声を無視して、事業を進めることもできた。しかし、皆で話し合った結果、住民の声をしっかりと受け止め「浜の暮らしを最優先で行こう」という結論になった。

カフェは残し、途中までやってきていた事業は全てやめることにした。迷惑にならないよう、団体のお客さんやボランティアはお断りし、マスメディアへの露出もやめた。

観光地化するのではなく、もう一度、自分が好きで暮らしていたあの頃の穏やかで住民皆が家族のような温かい浜をつくる方法があるのではないか。また一から作戦を考えることにした。


筆者プロフィール

亀山 貴一

かめやま・たかかず

石巻市蛤浜で生まれ育ち、宮城県水産高校の教師となる。震災によって2世帯5人まで減少した蛤浜を再生するため、2012年3月に蛤浜再生プロジェクトを立ち上げる。2013年3月に退職し、cafeはまぐり堂をオープンする。2014年4月に一般社団法人はまのねを立ち上げ、蛤浜の魅力や課題を活かした事業づくりに取り組んでいる。

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