【日本ものづくり探訪】第二話 日本の木を「材」にする|オークヴィレッジの仕事

こんにちは、オークヴィレッジの新井です。

連載第2回目以降はオークヴィレッジで働く人のさまざまな視点から、「根のある仕事」をお伝えします。

第2回の今回は、木が「材」になるまでを担当する西﨑がお届けします。

藝術大学で木工に触れ、その道を学びに高山へ来てから、木工から材料へ、材料から原木に興味はさかのぼり、現在オークヴィレッジの材料部で働く西﨑の、人柄の溢れるコラムをご覧ください。



はじめまして、オークヴィレッジで材料担当しております西﨑と申します。

今回、オークヴィレッジの「木」についてということで、私自身の体験や見聞きした事を通じてご案内出来ればと思います。どうぞ、宜しくお願い致します。

はじめに、ところ日本の仏工の祖と言われる鞍作止利仏師(くらつくりのとりのぶっし)や名工・甚五郎など匠の里として名高い飛騨高山へ何も知らずにやって来たのは26歳の時でした。

学生時の木工実習がきっかけで木工を学ぶため、オークヴィレッジ創業メンバーの佃先生・庄司先生率いる木工職人養成塾「森林たくみ塾」の門をたたきました。

当時の工房はプレハブで門はなく、アルミサッシの入り口をガラガラと引いて、早いもので、今年で入塾して倍の歳を数えます。

入塾当時(1994年)の「森林たくみ塾」

その木工を知るきっかけとなった大学での授業は、サクラとセンを用いた手工具での道具づくりと挽物(ろくろなどで材木を回転させ、刃をあててつくるもの)制作というものでした。

そこで出合ったカンナや挽物用の刃物、漆塗り用刷毛など、手工具の美しさにとても心打たれました。そして、その道具を使い、切る、削る、研磨することを通じて体で知った材料は、見る触る以上に、特別に心に響くものでした。



当時、大学のロッカーにしまっていた実習で使った残り材を開けるたびに、「もったいない、どうしよう」と、気にしていたことをよく覚えています。

それからも、度々「どうしよう」と思いながら、時々の大切なご縁と応援に恵まれながら木にはずっと囲まれていましたが、今度こそ「どうしよう」というところに転機が訪れ、オークヴィレッジで針葉樹・広葉樹含めて40種以上の木を扱う立場を頂くことになりました。

いつの間にか、もっと、もっと沢山の木をずっと気にしなければいけなくなりました。なんとも、“こーわいさなー”です。(飛騨弁=もったいなくありがたい意)



材料担当の仕事の中身は材料の調達・管理・制作手配が業務となります。

正確には「調達」ばかりではなく、お客様より、「ぜひこの木を活かしたい」というご要望のもと、引き取り~製材~乾燥から始まる制作を承ることもしばしばです。

創業以来、日本の多様な木の特性を活かしたモノづくりを進める上で、欠くことなく行ってきた自社で原木から仕立てる材料づくりは、お客様の大切な木をお預かりする際にも役立ち、広葉樹の製材に特化している地元の製材所のお力に感謝するばかりです。


今日も、クリとコナラを製材してきました。クリの出所は、長野県松本市他、コナラは、オークヴィレッジ敷地内の山です。

今回のクリは、違う山から少しずつ集まったせいか、木味が揃わず、厚みを3種に分けて製材しました。コナラは、北斜面でゆっくり育ったせいか、木目の揃った素直な木で、新作に合わせた製材を行いました。

製材の段階で最終製品をイメージしながら材料づくりします。1本1本適材適所に木の素性に合わせて行うことが大切です。

自社敷地内のコナラを地元製材所で製材

次の工程は乾燥です。天然の気候を利用して「桟木」を板と板の間に挟んで風の通る隙間を作り、積み上げ乾かします。

製材の時期としては、今はとてもよい季節。温度・湿度が、製材したての水分を多く含む材料を干すには程よいのです。それぞれの木に乾燥に適した条件があり、読み違えるとえらい目に会います。おーこわ・・。

木が伐り出されるのも気候の落ち着いた秋よりぼちぼちと始まり、製材に適した冬を迎える頃には本格的に材木が動きだします。特に広葉樹は、一度に集めるのが難しく、長い期間で少しずつ集める必要があります。

自社敷地内のコナラ(桟積み)

創業者稲本正会長がいち早く気づき立ち上げた理念は、当時の世相には早すぎたようで、創業当時、材料を手に入れるのにも一苦労あったと聞きます。他所から来た創業メンバーは、地場産業をつくり上げた先輩方には理解しがたい存在でした。

しかし、そんな中でも若者の心意気に応えてくださった方もおられました。高山でも一番大きな製材所の所長、住菊三さんとお父さんです。どんな木を、どう製材し、どう扱えばよいかなど、親身に世話してくださいました。

「困っている人は助ける。」飛騨人の心意気です。当時は、地元の木材市場も活況です。素材を活かすモノ造りの原点は、ここで培われてゆき、まさにお椀から建物まで造るに至りました。

オークヴィレッジのナラの拭き漆の家具もその一つ。

人間国宝・黒田辰秋氏のナラに拭き漆を施した作品に感銘を受け、永く使って頂ける家具として、当時地元で手に入るミズナラの木を最大限活かすため考え出した答えでした。

ナラに拭き漆の家具

そんな答えを探すうちに扱う樹種は10から20、30と、私が知るころには40種を超えるまでになり、材料を管理する上でも板の厚みもそれぞれにあって、なかなかな量です。

多様な木の端材を活かすことから生まれた「寄木の積木」

「国産材になぜこだわるのか」と社員でありながら、聞きたくなります。冗談です。稲本正会長の答えはこうでした。

いろいろあるんだけど、使っていないと、日本の山の姿がわからなくなるんだよ」

・・・おおっと、がんばってやります。私の中でも腑に落ちる答えでした。



創業以来、その時々の山の姿を表した木を活用してきた証として「永く使ってゆきたい」とお客様より帰ってくる化粧直しの家具たちがそれをよく物語ってくれます。

創業当初、家具ではナラが中心、次第にブナ・カツラ・タモ・トチなどが増え、建築では、ヒメコマツという飛騨ならではの木を構造材に使い、造作には緋桂(ヒガツラ)などが代表的です。あまり人気のない木に挑戦するのも大好きです。

そして今、気にして取り組んでいるのが、木材業界では扱いづらいとされてきたコナラです。これから、積極的に使えるように社員みなで知恵を絞っています。



さいごに、住菊三さんと私の数ある思い出話の一つを紹介して終わります。


幸運にも、私がオークヴィレッジに入社したその半年だけ、材料部で古希をお迎えになる住さんと一緒に働く事ができました。住さんが製材所をしまわれた後、是非ともご指導仰ぎたく、オークヴィレッジに入社頂いていたのです。

住さんは、朝は通学の見守り、昼はオークヴィレッジ、夜、週一は「花里町祝い唄教室」の先生です。私も習いに通っていました。唄以外、仕事以外に気構えを教えて下さったので私にとって住さんは住先生です。

他にも数々の地域の役、ソフトボール大会の審判などなど、いつも引っ張り蛸。顔が広く、どこへ行っても「住さん、住さん、」。

そんな住さんにある時「西﨑も顔の肉が厚くなって、頭の毛も少なくなって、ええ感じや、ヨシ、ヨシ、」と言われました。

なんだか一つ心が座ったような気がした思い出です。

材料を選ぶ住さん


【プロフィール】
オークヴィレッジは、木のおもちゃや家具、木造建築を手がける木工房です。1974年の創業以来、日本の森から木という恵みをもらい、飛騨高山の地で日本の伝統技術を駆使したモノ造りを行いながら、森林保全活動や林業の6次産業化にも取り組んでいます。

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