夫に当てにされない喜び
夫が住んでいるのは、私たちがもともと住んでいた母屋の離れです。今、母屋には、三女夫婦と5人の孫が住んでいます。
孫たちに会いに母屋には行きますが、夫の住まいには、ほとんど入りません。夫も私の家にめったに来ないですね。そこに取り決めはありません。
「大吉さんのことが心配ではないんですか」と聞かれることもありましたが、心配はありませんでした。というより、やりたいことがいっぱいで心配している暇がなかった(笑)。
私は命に関わること以外、もうどうでもいいと思っていて。関わったらきりがありません。よく会社で社員さんから「会長のセーター、虫が食って穴があいていますよ」なんて言われるんですけど、「つくろっといてあげてよ」って頼んでしまいます。私はどちらかというと、関わると徹底的にやるほうなので、やらないならもう一切やらない。
私でなくても、上手な人にやってもらえばいいじゃないのって。中途半端にやるよりよっぽどいいと思うんです。私は私がやるべきことをやればいいんじゃないのって、そういう気持ちです。
そうすると、大吉さんも私を当てにしなくなります。
以前は自分でできることも、それをとってくれとか、あれを買ってきてくれとか、何かと私を当てにして頼っていたんです。
仕事上でも、彼が社員さんに直接言えばすむことも、私を通して「あの人にこう言っておいてくれ」とか「これをやっておくように伝えてくれ」とか。いっぱい振ってきていた。私に頼むのが習慣になっていたんですよね。
でも私が「自分でやったら」と言うようになったら、最近は自分で気がついてやろうとするようになりましたね。すごい成長ですよ。
仕事の重要なところで、当てにされるのはすごくうれしいけれど、小間使いのように使われるのは、ちょっとイヤ。
このあたりは、別居生活できれいに整理されてきましたね。