自分の思い通りの空間をつくる
阿部家に10年以上住んだあとは、古い旅館を改修した女子寮に2年住み、その後、三軒長屋の今の住まいに移りました。
どの家でも大切にしているのは台所です。
阿部家の台所は、もともとあったおくどさん(かまど)を活かしてつくっています。阿部家では毎日、おくどさんでごはんを炊き、食事の最後に炊きたてのごはんを塩で結んだおむすびを召し上がっていただきます。おむすびをほおばる、みなさんの幸せそうな笑顔を見ると、やはりおむすびは私たち日本人にとって特別なごちそうなのだなあと感じます。
いっしょに手作りの食事をとることは、人と人をつなぐ力があると私は信じていますから、阿部家ではお客様と同じ食卓で食事をしています。これまでの人生を振り返ってみても、いつも家族以外の誰かといっしょに食事をしていました。「同じ釜の飯を食う」という言葉がありますが、これは苦楽をともにするという意味もあります。いっしょに食べる人たちといろいろな会話をしながら、相手のことを思いやったり、こちらの話を聞いてもらったり、そこから生まれる関係性を大切にしたいと思っています。
ですから阿部家も女子寮も今の家も、台所が住まいの中心にあるんです。
阿部家からすぐ近くの古い旅館を買い取って、女子社員が住める女子寮にしたのは10年前のこと。ここの台所は、もともと旅館ということもあって、広さは十分でした。ただ長い間放置されていたせいか、最初に入ったときは台所だけでなく、すべての空間に全く魂を感じませんでした。
古い建物というのは、ただ直しただけではダメ。魂を入れるという作業をしないと、建物も活かされないし、そこに住む人も活かされない。このままではダメだと思い、阿部家を出て私自身が住み始めたのです。
「住む」というのは、自分の都合がいいとか便利とか、そういうことだけでなく、何か不便さや不都合なことがあっても、そこに愛着を持って向き合っていくことで自分の中に生まれてくるものがあります。それが一体となったときに、お互いにいい関係ができて、そこが落ち着く場になるのです。
私はかつてここに住んでいた人をみんな知っていて、住んでいたかたから私が想いを受け継いで家を守らせていただく。
そういう思いを持って向かい合うと、家も変化してくれるんですよね。
現在の住まいは、三軒長屋の家の一軒です。といっても一軒は自然崩壊し、残った二軒も傾いてしまったので、それを建て直し、一軒を「無邪く庵」という文明を排した家にして、もう一軒に私が住んでいます。台所はリフォームして広くし、人数が立てるようにしました。そこに自分の感覚で選んだ物だけを置いています。家の中でいちばん好きな空間ですね。
「無邪く庵」は、夫が遊びでつくった家ですが、電気もガスもない家。みんなが囲炉裏を囲んで、お酒を飲みながら語らう場所です。私はかねてから文明に頼りすぎる暮らしは危ないと思っていました。文明がなければ人間の暮らしも不自由で、豊かさも手に入れられませんが、不自由だからこそ、手に入る別の豊かさもあるのでないかと。ロウソク一本をともして、空間に身を置くと、人間はそういうことを自然と自問自答し始めます。
私の住まいも、文明に頼りすぎず、なるべく簡素にしたいと思っています。