イヌやニワトリ、ヒツジにヤギ、動物たちもみんな大好き立花テキスタイル研究所 新里カオリさん。都会から島へ移り住み、ゴミを資源に変えていく「ものづくり」の背景にどんな考え方があるのだろう。
新里さんと一緒に、立花テキスタイル研究所のバッグや小物を染めるのに使われる「柿渋」を作っている尾道柿園に行ってきました。
尾道市・御調町の山の上で柿渋だけでなく柿酢や柿のドライフルーツ、昔ながらの作り方で完全無添加・天日干しの干し柿を作っている尾道柿園。
本当に素晴らしいところでした。
イヌやニワトリ、ヒツジにヤギ、動物たちもみんな大好き立花テキスタイル研究所 新里カオリさん。都会から島へ移り住み、ゴミを資源に変えていく「ものづくり」の背景にどんな考え方があるのだろう。
新里さんと一緒に、立花テキスタイル研究所のバッグや小物を染めるのに使われる「柿渋」を作っている尾道柿園に行ってきました。
尾道市・御調町の山の上で柿渋だけでなく柿酢や柿のドライフルーツ、昔ながらの作り方で完全無添加・天日干しの干し柿を作っている尾道柿園。
本当に素晴らしいところでした。
柿・柿・柿!
ここは広島県尾道市・御調町(みつぎちょう)菅野地区。
広島北ICを降りてしばらく舗装されていない山道を車で登っていくと突如、小高い山の天辺に集落が現れた。
家の軒先や山の斜面。集落を見渡す限り干し柿が並んでいる。
僕は人生で初めて、こんなにたくさんの干し柿を一度に見た。
到着してすぐに「柿」に圧倒され、感動に包まれる中その人は現れた。
この地区の柿文化を復興させた第一人者であり、株式会社尾道柿園の代表の宗 康司(むね・やすし)さんである。
宗 康司さん
広島県尾道市御調町生まれ株式会社 尾道柿園代表取締役
「里山に経済なくして、次の世代に繋がらない」をコンセプトに、400年の歴史がある御調町菅野地区で、里に眠る柿を「干し柿・柿酢・柿渋・ドライフルーツ」に変える尾道柿園を主催している。
尾道柿園の柿渋が塗料として随所に使われている11月にオープンしたばかりのカフェ兼ショールームの中でお話を聞いた。
この場所では、景色を眺めながら柿のドライフルーツやコーヒーが楽しめる。
この里のおじいちゃん達もお茶をしにきていた
「僕が生まれ育ったこの里は、もともと串柿の特産地だったんだ」
-串柿って初めて聞きました。どんな物なんですか?
「お正月の鏡餅の飾りに使うものでね、関西方面を中心とした飾り方なんだけど。
こう、三種の神器を意味している。鏡餅が「鏡」橙が「勾玉」串柿が「太刀」を表現していて」
柿を平らにして串を通して干したもの。
種がないと形が崩れてしまうので上丸(じょうがん)という種のある柿を使っていたそう。
「この辺一帯、ずらっとこういう干し方をしていて、家が見えないくらい軒先に干場を作って干していたんだ。
この串柿のおかげで、この里はちゃんと経済の基盤があって、この串柿と葉タバコを生産する専業農家がほとんどだった」
宗さんが高校生の頃までは、この串柿が軒先に下がっている風景が当たり前だった。
しかし年々鏡餅の大きさそのものが小さくなっていき、串柿は飾りに使われなくなっていった。
尾道市御調町で干し柿を生産する農家は1970年代には約150戸あったが、2010年頃には8戸にまで減少した。
江戸時代から400年以上続いていたこの文化が消えていったという。
大学進学と共に、都会へ出て卒業後も都会で仕事をしていたという宗さん。
どうしてこの里に戻って来ようと思ったのだろう。
「当たり前」だと思っていたことが宝だと気づいた。
会社員時代のこと。
「ここ十数年、健康志向の人が増えていって、干し柿もスーパーでも見かけるようになったと思うんだけど。
お店に並んでいる干し柿はすごい綺麗なんでね、なぜだろうと思って袋を見てみたら二酸化硫黄という添加物が入っているからだと分かって。
僕たちも食用でない串柿には二酸化硫黄を当てるので、知識としては知っていたんだ。
硫黄の煙を当てると黒ずんだ柿の色が戻って、そして防腐効果がある。
でも自分たちが食べる吊るし柿には入れちゃダメだと言われていたんだ。
それで、自分たちの干し柿の方が無添加でおいしい物ができるんじゃないかと思ったんだ」
皮を剥くのも全て手作業
柿を傷つけず等間隔に吊るすための手作りの道具
昔から当たり前に続いていた天日干しの無添加の干し柿があることに価値がある。
他に資源を求めなくても、自分の里にある宝に気づいたのだという。
山の上にあるこの里は、日照時間が長く風通しも良い。干し柿をつくる条件が揃っていた。
「もともと子供の頃は、柿すだれがある風景が当たり前にあった。
それをもう一度この里に再現したくて、子供の頃によく遊んでいた幼馴染に話したら、やろうかという話になって、この小屋を一緒に作ったんだ」
子供の頃に里山を駆け巡った仲間と共に8年前に「株式会社尾道柿園」を立ち上げ、干し柿の販売を始めた。
「暖かい雨が続くと、カビが生えたりリスクがある。でもあえて昔ながらのやり方でやっている。
雨が振ったらビニールで包むし、毎日夕方になったら湿気から守るために包む。
これは2人でやっても1時間はかかるんだけどね」
土地の力を信じて、こだわった製法で作られた干し柿。
1年目は5000個、次の年は1万個と毎年需要が増えていって去年は5万個を生産したという。
柿渋を作り始めた2年目
柿すだれが見られる期間は10月から12月までの2ヶ月限定のものになってしまうところから、2年目からは柿酢と柿渋を作り始めた。
柿酢は地元で昔から柿酢作りをしている80才のおばあちゃんに弟子入りして教えてもらった。
上段の右側が上丸(じょうがん)という品種、左側が西条柿の柿酢。下段が柿渋。
しかし柿渋を作っている地元の人はいなかった。
独学で柿渋作りを学び始めたという。
「柿渋はネットで調べて作り始めていたんだけど、その時に柿酢作りを教えてもらっているおばあちゃんの所でたまたま新里カオリさんに出会って、柿渋が完成したらもってきてくださいという話になったんだ。
しかし1年目は柿と水のさじ加減がわからず、濃すぎて固まってしまい失敗してしまったんだ。2年目からようやくできるようになった」
完成した柿渋は純度が高く、他の柿渋にはない赤みを帯びた美しい色に染まると新里さんは言う。
樹齢150年の柿の木からつくられる柿渋
柿渋を作るのに適した渋みが強い「青柿」という種類の柿の木。
昔からこの青柿がこの地域一帯に多いなと感じていた宗さん。
この里に帰ってきて、里山を練り歩くと樹齢150年ほどの大木が1500本〜2000本ほど植えられていることが分かったという。
「この周辺には柿渋の材料の木がやたら多いなとは気づいていたんだけど、
様々な柿渋の書物を調べていたら、尾道市が明治から戦後にかけて日本一の柿渋の生産量になっていたということが書かれていたんだ」
理由は瀬戸内海で日本中世に活動していた村上水軍に由来するという。
船の帆を染めたり、船体を海水から守るために天然の防水・防腐作用のある柿渋が使われていたのだ。
明治に入り、酒造りに欠かせない酒袋や漁業に使われる網、一閑張りにも使われ生産量が増えていった。
柿渋生産の最盛期は尾道のすそに200件の柿渋の工場があり、その周辺の山々に多くの青柿が植えられた歴史があったことがわかった。
「当たり前のように身近にあった柿の大木の理由が、明治からの歴史的な背景があったからだと。
それに気づいたのは夜だったんだけど、一人でえらく感動したんだ」
山の上は平地が貴重であったため、畑や平地には柿の木は植えず、山の斜面に植えるものであった。
斜面に残っていたことで伐採されず、150年の古木になる今日まで生き残ったのだ。
眠っていた柿が動き出す
続けて宗さんはこう語る。
「僕は来年には柿の実を買い上げるのを地域に宣言しようと思っているんだ」
「柿を採ってここまで持ってきてくれたら1キロで何円、自分で採るのが難しかったらキロいくらで採りに行くよ、という風にすれば、それが地域の方の仕事にもなる。
今は山の下に移り住んでいる人たちも、自分たちの柿に価値があると分かれば草刈りをしたり、山の手入れをはじめると思うんだ」
頂いたチョコのついた柿のドライフルーツ。最高でした。
「この場所(モデルハウス)を作ったのも、こういう場所で干し柿や柿渋が作られているんだというのを色んな人に知ってもらいたくてね。
足を運んでもらえる場所にしたかったんだ。
いずれは民泊もできるようにして、この場所に泊まってみたい。
住んでみたいという人が出てきたら嬉しいね」
来年には柿渋の自社工場をつくり、柿渋の染色体験や人が集まるイベントを企画していきたいという。
人口15人の限界集落であったこの里に、若い人が少しずつ訪れるようになっている。
柿をきっかけに再び地域経済が動き出し、地域に眠っていた数千本の柿の木が動き出すのだ。
無農薬で地域産、発酵から生まれた塗料。それが「柿渋」
この里で生まれた柿渋は今、海外からも注文が入るのだという。
「新里さんの紹介でアメリカから染色体験のツアーを受け入れてたことがあったんだけど、帰国後注文が入りはじめて。
実は今日も納めたんだけど、今回で5回目かな。徐々に取引きが増えだしたんだ。」
日本で生まれた無農薬の作物を使った発酵塗料である「柿渋」が海外の方に受け入れられる可能性を感じているという。
DIY文化が盛んなアメリカだけでなく、日本の草木染めの色というのはヨーロッパからも注目されている。
藍染の色が2020年東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムにも採用され、ジャパンブルーとして世界に浸透しているように。
この小さな里山で生まれた天然の発酵液「柿渋」がジャパンブラウンと呼ばれ、世界に注目される日も近い。
株式会社尾道柿園
〒722-0334
広島県尾道市御調町菅2030
0848-76-2033
今回の取材を通して、ますます尾道柿園さんのつくる柿渋に興味が湧いた僕は、仕入れ担当お姉さんに相談し、群言堂オンラインストアでも販売をはじめさせていただきました。塗料としても染料としても使える柿渋。熱や特別な道具がなくても簡単に染められるのでとてもおすすめです。
しっかり使いたい方は2Lサイズ、
柿渋をお試ししたい方は500mlサイズがおすすめです。
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