梶山正「京都大原で暮らす」|最終話 日本一小さなトンボを見に行く

ハッチョウトンボの雄。山室湿原では6~9月に見られる

滋賀県の湖北(琵琶湖北部)にある山室(やまむろ)湿原で、日本で一番小さなトンボが見られると知り足を延ばすことにした。

そのトンボはハッチョウトンボと呼ばれ、体長は17〜21mm。1円玉の直径が20mmであることから、その大きさが想像できるだろう。平地から低山にある、ミズゴケやモウセンゴケが好む日当たりがよく水溜まりが多い湿原に生息する。

少年時代の僕は虫が大好きだった。本は暗記するほど昆虫図鑑ばかりを眺めていたし、昆虫のミイラ、つまり標本もたくさん作っていた。同年代の子どもたちが公園でソフトボールをしているあいだ、僕はいつも一人で捕虫網を持って野山を歩き回っていた。

その昆虫狂いの僕でもハッチョウトンボは一度も見たことがなかった。湿原は、少年の行動範囲外のところにあったからだ。また、現在は全国的に湿原が減ったことにより、その個体数も減少している。

かつてハッチョウトンボはそれほど珍しいものではなかったようだが、僕が現在暮らしている京都府や群言堂本店のある島根県では絶滅危惧種に指定されているらしい。

訪れる人が少ない静かな山室湿原

さて、そのハッチョウトンボがいる山室湿原は、今から約2.5万年前にできた周囲約500m面積約1.5haの小規模な中間湿原である。

すぐ近くには東海道新幹線が走り周辺は田畑や人工林ばかりが広がるが、三方を山に囲まれた山室湿原のあるみつくり谷だけが開発を逃れた。ここには湿原を好む植物や生物が多く残っており、米原市は平成17年に市指定天然記念物に指定して湿原を守っている。

僕が訪れた6月24日には、トキソウとカキランがちょうど花を咲かせていた。

4月中~6月中旬に花を咲かすトキソウ

トキソウは湿地性の野生ラン。紫に近い淡いピンクの花の色が、トキの翼の色である鴇色に似ているのが名の由来とか。

湿原の日当たりのいいところで、茎頂にひとつだけ、しとやかな花を静かに咲かせている。トキソウも珍しい植物のようで、環境省の準絶滅危惧種に指定されている。

カキランも同じく湿地性の野生ラン。柿の実の色に似た黄褐色の花を茎の先に10ほど総状に付ける。こちらは派手に群生しているので、もの静かな乙女のようなトキソウと違い、賑やかな村祭りの若者たちのようだ。

カキランの花の見頃は4~7月

湿原に作られた細い木道の上から、這いつくばるような姿勢で花にカメラを向けていた僕はふと気付いた。

「あれ〜、肝心のハッチョウトンボがいないなぁ」

仲間は笑いながら「昆虫に詳しいんじゃないの?よ〜く探してみたら」と言いながら指さした。

その方向をよく見ると、草の穂先に派手な赤い体色をしたハッチョウトンボがとまっているではないか。「花の写真を撮るのに集中していたから…」と僕は言い訳したが、小さすぎて気付かなかったのだ。

ハッチョウトンボの雌は雄と色がまったく違う

しばらくハッチョウトンボを観察するが、まるで模型のようにまったく動かない。動かないから気付かないのだ。ハッチョウトンボの雄は、直径1mほどの縄張りを持ち、雌がくるのを動かずにじっと待っているのだ。

雄の派手な赤に比べて、雌は黒と黄色、褐色のまだら模様の体色であまり目立たない。彼らは小さくて動かないということを理解した上で改めて周りを見回すと、いた、いた。

ようやくいくつものハッチョウトンボたちの姿が見えてきた。



※誠に勝手ながら本連載「京都大原で暮らす」は今回を持ちまして終了とさせていただきます。これまでご愛読いただき心より御礼申し上げます。まだはっきりしたことは決まっていませんが、梶山さんとの次の企画をお楽しみに。




筆者 梶山正プロフィール

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かじやま・ただし

1959年生まれ。京都大原在住の写真家、フォトライター。妻はイギリス出身のハーブ研究家、ベニシア・スタンリー・スミス。主に山岳や自然に関する記事を雑誌や書籍に発表している。著書に「ポケット図鑑日本アルプスの高山植物(家の光協会)」山と高原地図「京都北山」など。山岳雑誌「岳人」に好評連載中。

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