おかげさまで、株式会社石見銀山生活文化研究所は設立30周年を迎えました。
これから先も大森町の暮らしを見つめ、同じ時を歩んで参ります。
設立30周年を記念して「望月真理 カンタ展」を2018年3月8日(木)から3月27日(火)まで群言堂 石見銀山本店2Fイベントスペースにて開催します。
カンタ刺繍作家・望月真理さんの作品やコレクションの美しさ楽しさを、ぜひ実際に感じてください。
イベントに連動して、カンタ刺繍と望月真理さんにまつわるお話を全3回に渡り連載します。
第3回目の今回は、作り手である望月真理さんと群言堂との出会い、そして群言堂との共通点についてご紹介します。
カンタ刺繍作家である真理さんの人生の原点にあるのは、祖母の存在です。
着道楽だった真理さんの祖母は、よくお離れに呉服屋を呼んで反物を広げさせていました。そんな祖母の横に座っていた真理さんは、幼い頃から深みのある本物の呉服に触れて育ってきました。
「本物をたくさん見ていれば、本物とそうでないものは見分けられる。例えば、化学染料で染めた紺と本藍の紺は、一見どちらも肉眼では紺色に見えるけれど、顕微鏡で見ると、化学染めは均一な紺色で、本藍にはさまざまな色が含まれています。」
また、学者だった父譲りの探究心も持ち合わせる真理さん。カルカッタ博物館でカンタと出会いその魅力に惹かれてから、インドに訪れた回数はなんと10回。
現地で集めた本物のカンタを学問的な眼と好奇心をもって研究してきました。周りがどう思おうと心惹かれるものに飛びついて、自分でやってみようとするのが真理さんなのです。
参考:いろんな旅をして思い出がいっぱい詰まっている、私の宝もの【望月真理 カンタ展#2】
そんな真理さんと群言堂との出会いは、まさに〝好奇心〟がきっかけでした。
ある日、知人に頼まれて島根県大田市のとあるお店の隅でカンタを縫っていた真理さんは、偶然お店へ買い物に来た松場大吉と登美に出会います。
真理さんがカンタを刺す姿を見て、二人の琴線に触れるものあったのでしょう。その場で真理さんを夕食に招待したのです。
「カンタって素敵ですね、今晩わが家に来ませんか?って登美さんが誘ってくれたから、くっついて行ったのよ。『お会いしたばかりなのに家までついてくる人も珍しい』と登美さんが言っていらしたような……(笑)。ご自宅でご馳走になって、それからの交流です。だから本当に行きずりなの」
その後、現在に至るまでの二人との関係性を「友達」と話す真理さんですが、出会いから数十年間も関係が続いているのはなぜなのでしょうか?
互いを引き合うのは、根底に流れる〝思想〟にありそうです。
ボロきれを縫い合わせて作るカンタと同じように、群言堂の原点であるブラハウス(BURAHOUSE)は、布片を縫い合わせて作るパッチワークから始まりました。
「私は古いものを大事にする、もったいながり屋なのよ。材料が違うだけで、じつは根っこのところで大吉さんや登美さんと通じているところがあるんだと思う。古いものをいっぱい探してきて、新しい形で再生する。そこにクリエイティブな喜びを感じるの」
インドの貧しい人々が、使い古したきれをもう1度使うために縫って色々に役立てたのがカンタです。
その民芸であるカンタをそのまま蘇らせるのではなく、真理さんは日本の自然観や素材を取り入れて針を刺していきます。
古いものを前に向かって自由に作り変える技──。カンタは日本人に欠けている「自由さ」を持っている手仕事です。
また〝こうあるべき〟という正解を欲しがる日本人にとって、ルールのない、つまり答えは1つではないのもカンタの特徴。
「日本人の多くは、きちっとしなきゃ優等生じゃないと思ってる。決まりごとは守れる。だけど、きちっとばかりだったら面白くないですよ。間違ったら新しい発想が出るかもしれないじゃないの。」
「間違うというのは悪いことじゃないのよ。枠をはみ出した先に新しいものを発見できる。こうあるべきと思っていたら新しい発想は生まれないでしょう。失敗をどう活かすかが腕の見せどころ。だから、挫折なんてありません。偉大な発明品の中にも、間違ったことがきっかけで生まれたものがありますね。」
取材をまもなく終える頃、真理さんは「ものがないほうがいいと思う」と、ぽろっとこぼしました。戦中を過ごしてきた真理さんは、ものが不足している中で〝じゃあどうするか?〟と工夫しなければならない時代も生きてきたからです。
一方で、ものが溢れる時代に育った若い世代は、ものがなくて工夫するという機会は、そう多くはありません。ゆえに「自由にやってごらんなさい」と言われると、戸惑ってしまうこともある。
カンタという手仕事は、非常にメッセージ性を秘めているように思えます。