おかげさまで、株式会社石見銀山生活文化研究所は設立30周年を迎えました。
これから先も大森町の暮らしを見つめ、同じ時を歩んで参ります。
設立30周年を記念して「望月真理 カンタ展」を2018年3月8日(木)から3月27日(火)まで群言堂 石見銀山本店2Fイベントスペースにて開催します。
カンタ刺繍作家・望月真理さんの作品やコレクションの美しさ楽しさを、ぜひ実際に感じてください。イベントに連動して、カンタ刺繍と望月真理さんにまつわるお話を全3回に渡り連載します。
第2回目の今回は、望月さんのカンタコレクションにまつわるストーリーをご紹介します。
フランス刺繍作家、故イルゼブラッシ氏に師事し、ヨーロッパの刺繍を学んだ真理さん。アジアを旅した際に、その文化的な美意識に驚き、アジアに伝わる刺繍を探して旅を続けたといいます。
カンタとの出会いは、インドの西ベンガル州の州都、旧カルカッタ(現コルカタ)にある国立博物館でのこと。
「その時の驚きと興奮は今も忘れられない。染色ツアーで訪れた国立博物館でたまたま後ろを振り返ったら、部屋の隅のほうに、1枚だけ展示してあったのよ」
そこではじめて出会った、カンタという着古した布を再利用するインドの刺し子。
誰も注目していなかったカンタに、真理さんはなぜ心魅かれたのでしょうか?
「どうやって作られたものなのか?って疑問に思ったの。一部分だけを縫うヨーロッパの刺繍と、空間そのものを縫うカンタ。必要だからではなく〝飾り〟のヨーロッパ刺繍と、必要に迫られて〝布を強くするため〟のカンタでは、まるっきり性格が違うもの。それがきっかけで私のカンタを求める旅が始まったの」
カンタは、使い古して必要のなくなったボロきれを、刺すことで再生する。つまり現地の人々にとっては、芸術品ではなく生活に必要な物。
しかし、研究はそう簡単なものではありませんでした。カンタは見事な民衆芸術の域にまで達しましたが、現在はこの仕事をする人もなく、貴重な文化は途絶えていたのです。教科書もなく、作る人もいない。全てが手探りの状況のなか、2回目のインド滞在中に訪れたある骨董屋で、カンタの刺繍が施された、たった1枚のボロきれを見つけたといいます。
「ボロボロのきれでした。でもそれは私には宝だったんですね。なるほど!こうやって刺すのかって。手仕事で作られた本物だから、カンタという刺し子がどういうものかわかったの」
こうして、1枚のボロ布との出会いからカンタ刺繍研究科・作家としての道を歩み始めた真理さん。それからはカンタ刺繍を学ぶためにインドへ10回ほど足を運び、真理さんは研究を続けたといいます。現在はカンタの祖国インドからも、彼女のもとを訪ね、ここに本当のカンタがあったとおっしゃる方がおられるそうです。
今や多くのカンタを見てきた真理さんが、もっとも大切にしているご自身の作品があるそうです。それは、中国の〝山村風景を刺したタペストリー〟です。
「岩手県の田舎の宿に泊まった時に、目の前に川があったの。その水が流れる様子を眺めながら、川をどうやって表現するか考えていたのよ。この風景は中国でスケッチしたの。天秤棒を担いだりしている農村はもう日本にはないでしょう?」
〝ボロ布はキャンパス〟と表現していた真理さん。数々の作品には、彼女が見てきた世界を描いているのです。
「いつもスケッチしては、それをもとにどう刺すか考える。インドとは目の前に広がる景色も、使う生活の道具も違う。だから私が刺すカンタには、インドのカンタに描かれないものも手法もいっぱいあるのよ。それは要するに日本流の、いえ、私流のものね」
こうでなければならないという決まりごとは、カンタには存在しません。自分を自由に開放し、真理さんという人生を濃密に詰め込んだ山村風景のタペストリー。
ここからは、この作品にまつわる物語をご紹介しましょう。
まだカンタという存在が日本でほとんど知られていない、数十年前のこと。福音館書店のトークイベントへの出演依頼を受けた真理さんは、山村風景のタペストリーなど作品をいくつか持参しました。
「その時に、着物をお召しの老婦人が、どうしても『山村風景を刺したタペストリーを譲ってくれ』って仰ったのよ。最初はお譲りする気はなかったの。でも何度も欲しいと仰るのでお譲りしました。
しばらく経って『この作品が行方知れずになるのは心惜しいから、自分の寿命が尽きたら作者のあなたに差し上げるよう、娘に託しました』と言うお手紙をいただいたの」
ときを経て、真理さんは親友に「ある高齢者施設のエントランスにあなたの作品が飾ってある」と聞きました。あのご婦人は施設に入られたのだな、そう思っているとある日、小包みが届いたといいます。
「託していた娘が先に逝きました。ですから私が、このタペストリーを差し上げます」
小包に添えられていた手紙には、そう書いてありました。
「100歳近かったご婦人が、私にこのカンタのタペストリーを送り返してくださったの。このカンタはいろんな旅をして思い出がいっぱい詰まっている、私の宝ものです」