梶山正「京都大原で暮らす」|第十七話 母に見せてあげたい、お花畑広がる伊吹山。

春から夏の伊吹山上高原はお花畑が広がる。黄色いメタカラコウの花

つい先日、1月中旬の日曜日は天気が良く、僕は琵琶湖北部にある伊吹山を登っていた。

雪に被われた頂上で時間を確認しようと携帯電話を見ると、末弟からの着信があったことに気付いた。その時は山仲間と一緒に行動しているので、あとで電話をかけ直そうと思った。

無事に下山後、車を走らせていると、今度は姉からの電話。咄嗟に僕は悪い予感がした。

母が亡くなった日に、僕が登っていた伊吹山

「母が40分前に亡くなりました」

僕は知らなかったが、2日前の金曜日に母は急に大動脈解離となって病院に緊急入院したそうだ。その日は普通に話しができる状態であった。

A型急性解離なので、緊急手術が必要とのこと。ところが、あるキリスト教系新興宗教信者である母は輸血を拒否。

輸血せずに手術をしてくれる別の病院へ日曜日に移動となるが、その時はもう手遅れで脈が弱まり、手術できる体力はもう残されてなかったそうだ。

翌日、僕とベニシアは亡き母が待つ福岡県へ車を飛ばした。

「そういえば、木曜日か金曜日にお母さんから電話があったわよ」と車内でベニシアが話し始めた。

「『これまであなたたちに何もしてあげなくてゴメンね。これからも家族を大切に守ってくださいね』ってお母さんは話しました。自分がもうすぐ死ぬことを解っていたのかもしれないね」。

夜7時頃に僕たちは母の遺体が待つ葬儀屋に着いた。八五歳の母は安らかな死に顔だったので、とにかく安心した。

通常なら、手を合わせて冥福を祈るところだが、母の宗教ではそれをやってはいけないことになっている。

クガイソウ。穂のような紫色の花が可憐だ。輪生した葉が層状に着くというのが名の由来である。

少し落ち着いた頃に、長弟に葬儀のことを尋ねると、母が生前に葬儀について書き記した誓約書のような書類を見せてくれた。

それには[葬式はしないように。遺骨は少しの量であろうとも、何人も決して持ち帰ってはならない]などといったことが細かく記されていた。

そのことを僕は不満に思い、母の介護を長くやっていた長弟に指摘した。しかしこれまで、僕が知らない間にいろいろと話し合い、すでに決められていたことのようだ。

長弟と僕はしばらく言い争ったが、それは母の亡骸の前で慎むべきことと感じ、お互いそれ以降は意見を控えることにした。

じつは、母の遺骨を少しだけ持ち帰り、僕の好きな美しい山に連れて行って、そこに咲く美しいお花畑などを見せてあげたいと心秘かに思っていたのだ。それができないと解ったから、ついつい感情的になってしまった。

イブキジャコウソウ。伊吹山で発見された植物。ハーブのタイムの仲間で、タイムと同じように料理などに使えると思うが、なんといっても保護されるべき希少種。

翌朝、母の友人である信者の人々が母の顔を見にやって来た。教えに従い、母を拝んだり、手を合わせたりはしなかった。

家の近所の人も来てくれた。彼らは自然に手を合わせて冥福を祈った。

お経をお坊さんにあげてもらうことなども一切なく、母の亡骸を火葬場に運んで火葬してもらった。

「あとの遺骨はそちらに全てお任せします。一切持って帰りません。」と火葬場職員に話す親父は辛そうだった。

親父は日本式の葬式をしてあげたかっただろうが、母と長く話し合って決めたことなのだろうと感じられた。

僕たちは火葬場に長居せず、それぞれの帰路についた。ずっとあそこにいたいという気持ちもあったが、何もできない。辛い。

京都へ戻る車の運転をしながら僕はいろいろと考えた。あまりにシンプルなお別れ会に、なんだか物足りなさを感じたのは事実だ。

とはいえ、一般的な葬式とは、残された遺族たちの悲しみを和らげるために、文化と宗教、慣習などが総合的に絡んで、長い年月をかけて作られたものなのだろう。心の拠り所に、仏壇にお供えをして母を供養するという選択はないということになっている。

コオニユリの蜜を求めてやって来たアゲハチョウ。ピンクの花はシモツケソウ

母は僕の心の中でずっと生きている。

僕が伊吹山を登っているときに母は亡くなった。ならば、伊吹山を僕は母のように思いたい。

冬の伊吹山は雪に被われて真っ白だが、春から秋は次々とたくさんの花が咲き乱れて、まさに僕が母に見せてあげたかった美しいお花畑の山となる。







筆者 梶山正プロフィール

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かじやま・ただし

1959年生まれ。京都大原在住の写真家、フォトライター。妻はイギリス出身のハーブ研究家、ベニシア・スタンリー・スミス。主に山岳や自然に関する記事を雑誌や書籍に発表している。著書に「ポケット図鑑日本アルプスの高山植物(家の光協会)」山と高原地図「京都北山」など。山岳雑誌「岳人」に好評連載中。

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