こんにちは。
群言堂広報の三浦です。お米干してますか?
本社の目の前では只今、お米を絶賛ハデ干し(※)中です。
※木を組んでつくる「ハデ木」に稲の束をかけて天日干しすること。地方によって「ハデ」を「ハザ」と言うなど呼び名が違う
勤務中に米を作る会社員たち
群言堂スタッフは毎年、本社社屋前の田んぼで米作りをしています。
あまりに当たり前のように業務時間内に田植えや稲刈りをしているので「あ~楽しいな~」としか考えていませんでしたが、
仕事柄いろいろなお客様を本社にご案内しているとこの風景に感動してくださる方も多く、「お、もしかしたらぼくらは何か意味あることをやっているのかもしれない」と思うようになりました。
獲れたお米は自家消費
収穫したお米は特に売るわけではなく、11月に本社裏にある祠のお祭りをする時に備えるお餅にするほか(もち米も作っています)、社員が安く買えようにするなどしてすべて自家消費しています。
もちろん全く儲けにはなっていません。
ちなみに総務で収支を聞いてみたところ「ちょい、赤」とのことでした。
ではなぜ、会社としてお米作りを?
三浦の解釈としては、この町の風景に合った社屋を作り、里山の景観を守るためであるというのが本筋だと思っていました。
しかし、実はもっと奥深い理由がそこにはありました。
登美さんに聞いてみた
もちろん教科書的に言うならば、「景観づくり、そしてスタッフの福利厚生のために米作りしています」と言えます。
なので三浦の考えもあながち間違いではないでしょう。
しかしなんだかそれだけでは100%理解した気持ちにはなれなかったので、思い切って所長室の扉をノックしました。
三浦「所長、改めて聞きますが、本社前でお米を作るのってなんのためなんですか?」
登美さん「私、講演をするときによく引用するんだけどこういう言葉があって―」
ガサゴソと引き出しをあさってある文章の書かれた紙切れを一枚、三浦に手渡しました。そこにはこう書いてありました。
”食べものでも着ものでも住まいでも自給のある暮らしは、体の中に造る文化を育て、外には美しい風景を紡ぎだす。
逆に、消費的生活は、能力を特化させ、リッチで享楽的な生活を実現するかもしれないが、お金にあくせくさせ、人間関係や風景を殺伐としたものにしてしまう。
田舎を歩いていると、やはりそんなことを考えさせられる。”
登美さん「素敵な文章でしょう?もう著者も忘れちゃったけど、昔読んだ本に書いてあったのよ。ちょっとでも自給する暮らしを取り入れることができたらいいなって、それが人間にとって必要不可欠なことだと私も思うのよね。」
三浦「深い」
景観はあくまで結果
登美さんの言葉にはハッとさせられました。
自給のある暮らしをすること、そしてそれを通して自分の中に造る文化を育てること。それこそが米作りの肝だったのです。
つまり景観はあくまで後からついてくる結果であって、スタッフ一人一人が自分の手を動かすこと自体に意味があったのです。
「里山の豊かな暮らしを発信する」という群言堂の想いは、こうしてスタッフの手を通してものづくりに注ぎ込まれていくのだなと思いました。
非常に勉強になりました。
<おわり>
P.S. ところで今回の記事タイトル「ぼくらが米を作る理由」を見て小沢健二の名曲「ぼくらが旅に出る理由」を連想した方はいらっしゃいますでしょうか?昭和生まれですね?
「知らんがな」と思われるでしょうが、実はこの曲は三浦が小学生の頃、おばあちゃんの家で見たドラマ『将太の寿司』の感動的なシーンで流れて思わず好きになり、生まれて初めて「CDが欲しい」と言って父に買ってもらった記念すべき曲なのです。それでは、さようなら!
最後におまけで他郷阿部家の料理人・拓さんこと小野寺拓郎をご紹介します!
拓さんが季節の食材を使ったレシピを公開している『拓さんの阿部家レシピ』をご覧の方はご存知ですね。三浦編集長Vol.5にも登場しています(記事をウェブにも転載しました!意外な過去がわかるかも!?)。
顔は非常に濃いですが味付けは控えめ、素材の味を引き出すのが得意な静岡県出身・37歳です。めでたいことに今年3人目の子どもが生まれました。
三浦や植物担当・鈴木くんとともに狩猟免許をとった狩猟仲間でもあり、常に食材をさがして野山を駆け回っています。最近、横浜DeNAベイスターズの宮﨑敏郎選手に似ていると社内で話題になっています。以後、どうぞお見知りおきを。
三浦類(みうら・るい)
群言堂広報担当。愛知県名古屋市出身。
学生時代に群言堂のインターンで大森を訪れたことをきっかけに2011年入社。広報誌「三浦編集長」の制作や取材対応、WEB・印刷物での情報発信などを担当。植物担当・鈴木や阿部家・小野寺とともに狩猟免許を取得するなどして、頻繁に山や海で遊びながら大森暮らしを楽しんでいる。趣味はフラメンコギター。