梶山正「京都大原で暮らす」|第六話 命がけの結婚式

仙丈岳山頂で結婚に乾杯

ベニシアと僕が一緒に暮らし始めて10ヶ月ほど過ぎた日のことである。

「私たちこれからどうするの?そろそろ考えましょうよ」とベニシア。「それじゃあ結婚しましょう!どうせなら、まだ登ったことがない高い山の山頂で」。

僕たちは南アルプスにある標高3033mの仙丈岳(仙丈ヶ岳とも言う)の山頂で結婚式をすることにした。

日本に3千m峰は21座あり、仙丈岳は18番目に高い山だ。山は大きいが傾斜が緩やかなので、あまり山に登ったことがないベニシアでも登ることができるだろう。

小仙丈岳にて牧師役のT君と。左奥の山が目指す仙丈岳山頂

ベニシアと僕は、京都大原の金比羅山の岩場で知り合ったクライマーのT君を誘った。彼が牧師さん役である。

普通の若者である彼に牧師の経験があるわけではないが、山頂牧師の必須条件とは山に登れることであろう。1992年11月10日、僕たち三人は伊那へ車を走らせた。

「指輪は買ったの?」と中央高速道の車中でベニシアが僕に尋ねた。「そんなの要るの?映画みたいやん」と僕。

「私たち結婚するんでしょう?指輪がなくて結婚できるわけないでしょう…」。どうやら僕の結婚に対する認識は、彼女とだいぶ違うようだ。

高速道路を降りた僕たち3人は、伊那の商店街で宝石屋を捜した。宝石屋はなかったが、小さな時計屋さんで結婚指輪を手に入れることが出来た。

仙丈岳2合目の亜高山樹林帯でひと休み

登山口のキャンプ場がある北沢峠へ向かうバス停に着くと、翌々日からバスは冬期休業になることを知らされた。ぎりぎりセーフだ。とはいえ、新たな不安がつのってきた。

雪はまだ少ないと思っていたのだが、見える稜線は雪で白い。まったく冬山の様相だ。ピッケルとロープを持ってくるべきだった…。ベニシアはちゃんと登れるだろうか?事故が起きないか心配だ。

翌11日、僕たちは早朝から冬山装備に身を固めて登り始め、無事に仙丈岳山頂に立った。

仙丈岳山頂に辿り着いたベニシア。日本1位と2位の高峰、富士山と北岳が見える

深く蒼い空がどこまでも続き、360度開けた山頂からは日本最高峰の富士山、南アルプスや中央アルプスの冠雪した峰々を見渡すことができた。

T君は、レバノン出身の詩人ハリール・ジブランの「予言者」の一説を読みあげて、牧師さんを努めてくれた。

ベニシアはシャンペンを準備していたが、山頂での乾杯は赤ワインにした。「3千mの山頂は気圧が低いので、シャンペンが全部吹きこぼれてしまうかもしれない…」と前夜テントで話し合っていたのだ。

ワインで乾杯して、記念写真を撮り、3人だけの結婚式は終わった。

小仙丈岳にて。左後ろの山は甲斐駒ヶ岳

結婚式の間も、僕はベニシアが無事に下れるか気になっていた。登山は登りよりも下りの方が危険なのだ。

彼女は生まれて初めて登山靴に鉄の爪のようなアイゼンを着けて歩いている。もしも、このスケートリンクのように固くツルツルの斜面でつまずき転けたら、まず止まらないだろう。

「転けたら僕が体で受けとめるから大丈夫!」と僕はベニシアのすぐ真下を歩いた。安全地帯の樹林帯に入るまで僕たちの緊張は続いた。

「あの時、もしも私が滑ったら、あなたが止めようとがんばっても、2人とも落ちて行ったでしょう」。下山してホッとしたベニシアから漏れた言葉だ。命がけだったが、思い出深い結婚式になった。





筆者 梶山正プロフィール

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かじやま・ただし

1959年生まれ。京都大原在住の写真家、フォトライター。妻はイギリス出身のハーブ研究家、ベニシア・スタンリー・スミス。主に山岳や自然に関する記事を雑誌や書籍に発表している。著書に「ポケット図鑑日本アルプスの高山植物(家の光協会)」山と高原地図「京都北山」など。山岳雑誌「岳人」に好評連載中。

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