『小野寺拓郎』の場合|三浦類の職場放浪記③

三浦類の職場放浪記|『小野寺拓郎』の場合

今回ご紹介するのは『拓さんの阿部家レシピ』でおなじみ、他郷阿部家料理人「凡典座(ぼんてんぞ)」として活躍中の小野寺拓郎(おのでら・たくろう)さん(以下、拓さん)。話を聞いてみると意外な経歴の持ち主だった。



拓さんは昭和55年、八戸出身の父と庄内地方出身の母との間に生まれた。母の地元山形で生を受けてすぐに家のある静岡県湖西市へと移り、そこで25歳まで過ごした。

働きながら毎日手料理を作ってくれた母と釣り好きで魚のさばき方などを教えてくれた父のおかげで潜在的に料理に興味を持つようになる。

また両親の実家から送られてくる新鮮な海の幸・山の幸を食べ、中学校の卒業アルバムには「料理人になる」と書くほど食に親しんで育った。

一方では少年時代から野球一筋で、小・中・高、そして卒業後も草野球をするほど野球漬けの日々を送った。威勢のいい声と礼儀正しさはこの頃の賜物だ。

幼い頃から食に親しんだ

高校卒業後は地元で車の部品を作る会社に就職し、生産管理部門で7年ほど働いた。フォークリフトの運転はお手のものだ。

地元の大きな会社で収入も安定していたが、25歳の時に突然音楽の道を志し退社。周囲の反対を押し切って上京した。

東京で音楽の専門学校に通いながら高級和定食屋で働き始めたが、新規開店だったためうまく仕事が回らず7か月ほどで辞め、渋谷の焼鳥屋に職場を移した。

デビューを夢見て音楽活動に励みつつ、ひたすら焼鳥を焼き続けた。おかげで今、拓さんの焼鳥は阿部家の裏メニューとして評判だ。

ちなみに当時、実は某有名グループEXI○Eのオーディションを受けたこともある。

仕事と音楽の毎日が続いたが、29歳の頃に転機が訪れる。後に結婚することになる久美子さんとの出会いだ。

現在群言堂ブランド部で働く久美子さんはよく笑う群言堂の元気印

焼鳥屋のお客さんだった久美子さんは、当時店の近くの看護学校に通っており、学校の仲間とよく飲みに来ていた。

「元気のいい子だな」という第一印象だったが、ある時、未踏の地・吉祥寺に住んでいると知り、案内してもらったことがきっかけで互いに惹かれあい、付き合うようになった。

それから結婚に至るのにはそれほど時間はかからなかった。

ある日デートで行ったカフェで横並びに座った時、ふと二人の間に女の子がいるイメージが浮かんだ。その話を久美子さんにすると、やはり子供が生まれるとしたら女の子だとイメージが一致した。その瞬間、結婚を意識した。

(余談だがこの吉祥寺のカフェは三浦も学生時代にデートに使ったことのある、ブランコ席のある素敵なお店だった。調べると去年閉店したらしく残念極まりない。)

かくして30歳で結婚し、それを機にマイクを包丁に持ち替えて、和食店で包丁の勉強を始めた。

2011年には長女の絆菜(はんな)ちゃんが生まれたが、当時は仕事が忙しく朝から晩まで家にいない状態が続いた。

もう少し家庭を大事にできる働き方がしたいと考えている時に、西荻窪のレストランRe:gendo(りげんどう)の求人を見つけた。

小さな頃から古民家好きだったので、昭和初期の文化住宅を再生したこの店でぜひ働いてみたいと思った。久美子さんにも「すぐ行きなさい」と言われ、早速面接を受けた。

濃い顔立ちが幸いしたのか、無事入社が決まった。

西荻窪Re:gendo(りげんどう)外観

新しい仕事にも慣れた頃、大吉会長との面談があった。会長の帰り際、「僕も大森に呼んで下さい」と言ってみた。

本社研修に行ったスタッフがうらやましくて、単純に自分も研修に行って大森を実際に見てみたいという気持ちで言ったつもりだった。

「それは遊びか仕事か?」と聞かれ「仕事です」と答えると、「わかった」とだけ言って会長は帰って行った。

後日、「まずは最低2年、大森で働いてみんか?」という予想外の誘いの電話があった。びっくりしたが、不思議と行くことに迷いはなかった。

子育ての面でいいイメージが湧いたのが大きかったのかもしれない。久美子さんの仕事がネックだったが、お義母さんが説得し背中を押してくれた。

そうして2014年3月末、大森にやってきた。最初の一ヶ月は一人だったため、当時三浦のいた男子寮に住んだ。

温泉やそば屋に行ったり山菜採りをしたり、来てすぐ大森での暮らしを満喫できたのは、不安を感じさせない環境があったからだと思う。

周りの人がみんな挨拶してくれることがとても嬉しかったし、家族が来てからも、町の人みんなが子供を見ていてくれる安心感が身に沁みた。

家を買って両親を呼びたいくらい、大森が好きになった。

2015年2月には長男の寅赳(のぶたけ)くんも生まれ、小野寺家、そして大森が一層賑やかになった。

田植えをする拓さん。何事にも意欲的に取り組む。

仕事の面では、自分でメニューを考えるのは初めてだったが、生産者や産地と近いこの場所で包丁を通して自分を表現していくということは楽しく、やりがいを感じている。

他郷阿部家の家主、登美さんからは「あなたは魯山人になりなさい」と大きな目標を与えられており、包丁と共に五感を研ぎ澄ませ、どんどん成長していきたいと意気込んでいるところだ。

大森に来てから人間らしさというのか本能というのか、子供の頃に持っていた感覚がよみがえって自分がいきいきするのを感じている。

これからこの場所でもっと楽しいこと、皆が、家が、町が喜ぶことをたくさんしていきたい。

小野寺ファミリー(左より久美子さん、長男寅赳くん、長女絆菜ちゃん、拓さん)

<おわり>

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書き手:広報課 三浦

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