鄙舎と私たちとの出会いは「土地に根ざしたものをつくりたい。
日本で、石見銀山という土地をべースに仕事をしていきたい」
そう思い始めていたものの、こんな田舎で本当にできるのか、
なかなか踏み込む勇気が持てずにいたころです。
そんなとき、知人からタイのチェンマイにある
「美しい竹の村」の話を聞いたのです。
わたしは直感的に「そこへ行かなければ」と思いました。
「美しい竹の村」はセンダー・バンシッさんが開いた工房です。
彼女は、母親から習った草木染めや手紡ぎを仕事にしようと心に決め、
自分だけでなく近所の女性たちにも広めていきました。
村の人と力を合わせ、昔ながらのものづくりをよみがえらせていったのです。
それが後に伝統工芸として認められるようになり、
地元の女性たちの多くがここで収入を得られるほどに成長していきました。
働き場所を得た女性たちは、村を離れる必要がなくなり、
過疎化にもストップがかかりました。
竹のアーチの美しい風景と家並み、女性たちの暮らしぶりを見ながら、
わたしは感慨にふけりました。
「こんなふうに、田舎でものづくりができ、
『都会、都会』と言わなくても働ける場所があるって、わたしの夢だ」
直感を信じ、この村まで来てよかったと思いました。
「石見銀山でも、この村のような暮らしがきっとできる。わたしたちも、田舎で食べていこう!」
この思いは、詳言堂のスタートとなったものでもあります。
大森に戻ると、タイの村で見た美しい風景を、
会社の敷地である1000坪の土地に思い描きました。
日本の田舎の原風景を、この土地につくりたいと思ったのです。
「あのあたりには茅葺きの家が、あそこには竹やぶもあるといいね」
夫や社員と夢を語り合っていました。
すると、またも偶然というべきか、ある新聞記事を発見したのです。
「茅葺き豪農屋敷解体、引き取り手募る。」
広島県世羅郡甲山町(現・世羅町)に立派な豪農の家があり、
町としては保存したいのだが費用がなく困っている。
活用してくれる人があれば譲る、という記事でした。
「これだ!」わたしたち夫婦は、無謀にもまた直感で走り始めました。
登美