「復古創新」家の声を聴きながら
継がれてきた宿
群言堂が大切にしている言葉の一つに、「復古創新(ふっこそうしん)」がある。
復古創新とは、先人が生きてきた過去から本質を理解し、未来からの視点で創造していこうというモノサシ。他郷阿部家も例に違わず、そのモノサシに沿って改修が進められてきた。
四季折々の緑が風に揺れて気持ちがいい、庭をじっくり眺めながら入り口に向かいたくなるアプローチ
玄関に足を踏み入れると、「納川」の二文字が客を静かに迎えてくれる。異質なたくさんの流れ(川)を飲み込むことによって、海は広く美しくなれる、という意味だ。きっと、私たちが他郷阿部家に泊まることも、小さな雫となって、この流れと合わさっていくのだろう。
「心想事成」の空間で過ごす
もう一つ、他郷阿部家を語る上で欠かせない言葉がある。「心想事成(しんそうじせい)」。文字の通り、心に描いたものは形になっていく、という意味だ。登美さんが暮らしながら、家の声を聞きながら、心で描きながら作ってきた空間が、ここ他郷阿部家。
泊まれる部屋
そんな「心想事成」で作られてきた気になる部屋は、「母家」と「蔵」、趣向の異なる二種の部屋から、どちらに泊まるのかを選べるようになっている。順番に見ていこう。
母屋(奥の間+茶室)
まずは和室の母家の方から。1階の奥の間、次の間、中の間、そして古い階段箪笥を上がった先の2階の、隠れ家のようなかつての茶室がついてくる。4つの空間を自由に使いながら、最大6名での宿泊が可能な部屋だ。
母家では、武家屋敷の風格漂う欄間(らんま)と高い天井を眺める心豊かな時間が、茶室ではガラスのパッチワークから差し込む穏やかな光の美しさに、目を奪われる時間が過ごせるだろう。個人的には、四季と向き合うことができる部屋だと思う。
蔵(洋間)
もう一方は、見とれてしまうほどの立派な梁が天井を走る、重厚感ある蔵を生かした洋間のベッドルームだ。
改修前に他郷阿部家内で偶然発見された市松模様を再現した特注の畳や、天然素材の生地を生かした季節ごとに異なる風合いのベッドリネンなど、群言堂ならではの快適な空間が広がっている。
母屋が季節と向き合える部屋だとすれば、蔵は自分と向き合える静謐な時間の部屋、という印象を持っている。
蔵の書斎では、読書や大切な人への手紙を書こう
何年経っても忘れられない、快眠寝巻き
他郷阿部家で夜を過ごして、色々と印象的なことは多かったが、何年経ってもどうしても忘れられないのは、寝巻きの心地よさである。
群言堂の隠れた人気商品、二重ガーゼの「くつろ着」は、ゆったりとした眠りを誘うため、糸選び・撚り加減・染め方など試行錯誤を繰り返して辿り着いた自慢の寝間着。綿100%の優しい肌触りで驚くほど軽く、身にまとっていることをつい失念しそうになってしまうほど。
もちろん寝具も天然素材で、肌も私も喜ぶ仕様。夜、真っ暗な空間で、くつろ着と寝具に包まれながら、その静けさをしばらく見つめてみた。
そうすると、遠くの建具が、ぱきり、と答えてくれた気がした。ヒト以外の生き物が、この建物の中には息づいている……たとえば虫や、たとえば動物、作物や木々が揺れる音のほか、もしかしたら家具や建具たちも、私の気づかないところで話し出しているのかもしれない。そういう想像が、恐怖心はまったくなく、なんとなく受け入れられてしまうような時間が、そこにあった気がしたのは、私だけではない気がして。
翌日、隣の部屋で眠っていた友人に、お茶を飲みながらそんな話を打ち明けてみたことがある。「僕も、そう思っていましたよ」とごく自然に彼は言った。うん、と、それ以上その話を広げることはしなかったけれど、なんだか「他郷阿部家にいる」「歴史や時間、重ねられたものや想いなど、いろいろなものと共に在る」時間を過ごすことで、段々と私の感覚が変わっていくようで、不思議な気持ちになった。
ヒノキ・檜の香りが漂う浴室。ここで過ごす時間は、心と身体が休まる
他郷阿部家の象徴・台所「おくどさん」
他郷阿部家での滞在中、特別に派手なことは起こっていないはずなのに、すべてが特別な瞬間で満ちているような気持ちになることが何度もあった。
とくに、そんな気持ちには、宿泊の部屋はもちろん、他郷阿部家のおくどさんのある台所でよく出合う。
最初にその空間を目の当たりにした時、数秒、言葉が出なかった。それくらい、何かの「力」を感じる場所だ。それは、食べねば生きていけない人間の土台を支える台所という役割、それを作り続けてきた底力なのか、米を炊くための「炎」がある場所だからか、何なのかは未だ正体がわからない。言葉を選ばずに安易な表現を許してもらえるなら、「神様がいるのだな」と私は信じたい。
引用:https://kurasuyado.jp/takyo-abeke/kurashi
宿泊者は、同じ時間におくどさんに集まり、朝晩と食事を共にする。そこには、登美さんはじめ、群言堂のスタッフが同席することも珍しくない。
登美さんは、おくどさんで起こることを、「筋書きのないドラマ、八百万の神がいる」と表現していたことに、後から気付く。そうだと思う。やっぱりここには神がいて、そして毎夜、筋書きのないドラマがそれぞれの心に収まっていく場所なのだ。