旅をするなら、その土地のもの、
旬のものを使った家庭料理が食べたくなるもの。
でも、意外と、初めて訪ねた旅先で、土地に根ざした食はなかなか味わえない。
緑深い山間に赤茶色の瓦屋根が並ぶ町並み──世界遺産・石見銀山にひっそりと佇む「暮らす宿・他郷阿部家」で楽しめるのは、土地のもの、旬のものを生かす家庭料理。
「日本の家庭料理を豊かにしたい」と語る料理人の小野寺拓郎さんに話を聞いた。
取材・文・撮影:小松﨑拓郎
- 小野寺拓郎
- 東京・西荻窪にある群言堂 暮らしの研究室(旧:re:gendo)で料理人として修行し、他郷阿部家・料理人。静岡県湖西市出身。
他郷阿部家とは
島根県大田市大森町、通称石見銀山の中腹にある築230年の武家屋敷を再生した空間で、旅人同士が同じ食卓を囲む「他郷阿部家」。
他郷阿部家は1789年に建てられた地役人・阿部家の朽ち果てていた武家屋敷を群言堂のデザイナーである松場登美が10年以上の歳月をかけて暮らしながら繕い、蘇らせた宿。
他郷とは「異郷の地でまるで自分の故郷のように迎えられる喜び、縁の尊さ」を指す。
他郷阿部家は1日2組限定、夕朝食付き。和室の母屋と洋間の蔵と2種類の部屋に泊まることができる。
松場登美が暮らしながら形づくった理想の暮らしの場を宿とし、現在も他郷阿部家のスタッフと共に、石見銀山に根ざした暮らしや生き方を提案し続けている。
他郷阿部家で食べられる家庭料理
他郷阿部家で食べられるのは、地元で採れた旬のものを生かした家庭料理。食卓には拓郎さんが石見銀山の里山で採集した山菜や畑で採れた野菜が並ぶ。
「自分が食べておいしいと感動できたものをお客様にも食べてもらいたい。だから、里山で採った食材もお出ししています。心がけているのはみんなが知っている家庭料理ではなく、少しひねりを加えた家庭料理。あえてひねりを入れるのは家庭料理を豊かにしたいからです」
みんなで囲む食卓は阿部家ならでは。初めての人同士でも打ち解けあう。
家庭料理を豊かにする
「普段歩いているところにも実は食べられるものがたくさんある」と話す拓郎さんが心がけているのは、お客様に食べ方を提案すること。
「『あ、こんなものも食べられるの?』と思ってもらえるような提案をしたいし、普段使っている野菜でも、ほかの食材との合わせ方や調理法で『こんな食べ方があったんだな』って思ってもらえるような提案をする。 毎日料理していると、料理すること、食べることの楽しみを忘れがちになってしまいますよね。要はマンネリ化しちゃうっていうことなんですけど。
阿部家では生姜焼きをお出ししているんですけど、秋の季節は近くにある多伎町がイチジクの特産地なので、そこにイチジクを加えてます。ちょっと加熱したイチジクのトロンととろける食感が生姜焼きをおいしくするんですよ。こんな食べ方があるんだって、びっくりするかもしれない。でもそれは阿部家でなければ食べられない高級料理というよりも、家に帰ったら真似したいと思ってもらえるような料理を目指していて」
ここでしか食べられない料理を食べてもらいたいと考える料理人は多いかもしれない。あえて真似したいと思えるような料理を目指すわけを「家庭料理を豊かにしたいんですよ」と拓郎さんは笑う。
「見た目もすごく綺麗で複雑な味付けをしてあるレストラン料理は、その場では感動があるかもしれない。でも、自分で再現できないじゃないですか。阿部家で食べた料理を自宅に帰って今度は自分で作ってみる。そうすることによって家庭の料理の引き出しがひとつ増える。そうしたら暮らしが少し、豊かになっていると思うんです。
高級な食材を使わなくても素材を最大限引き出しておいしく楽しめるのが家庭料理。 なによりも毎日登美さんがその日に泊まるお客様とともにご飯を食べるので、毎日食べても胃が疲れなくて、飽きずに楽しめる料理であることを大切にしています」
採って、料理して、食卓を囲む。
他郷阿部家の料理人・小野寺拓郎の暮らし
料理人としての原点
他郷阿部家の台所に欠かせない料理人である小野寺拓郎さんの原点はどこにあるのだろうか。
「僕の父親はすごく釣りが好きで、毎日釣りに行っては魚をさばいているのを幼い頃から見てきたんですよ。それがきっかけで台所に立つようになって、自分の好きな料理を作ってばかりいましたね。うどんを踏んで作ったり(笑)。
料理好きがこうじて高校生になったら料理のアルバイトをして、結婚を機に包丁で家族を養っていこうと心に決めました。それからはどんなジャンルに進むとしても基本である包丁の使い方を和食の料亭で勉強して、その後はいろんな引き出しを得るためにRe:gendo(現:群言堂西荻窪店)でフレンチ出身のシェフのもとで学ばせてもらいました。
当時は駆け出しの料理人だったし、それでも包丁で家族を養っていくと決めたので、夜遅くに家に帰ってからも里芋の皮むきをひたすら練習したりして。早く一人前にならないといけないと思ってましたね。子育てのことで妻には迷惑をかけたと思うけど、あの時代があったから今があると思います」
山や海で遊ぶおじさんたちから学んだ暮らし
Re:gendo(現:群言堂西荻窪店 )でフレンチ出身のシェフの元で学び、その後は他郷阿部家の台所に立つべく島根県大田市大森町に移住。「自然の中で少年のように遊ぶ町のおじさんたちの姿が輝いて見える」と拓郎さんは言う。
「基本的にみんなウェルカムで家族みたいに接してくれて、おじさんたちが、本当に少年みたいに遊んでる。全力で(笑)。
たとえば、あのおっちゃん(拓郎さんが指を指す)は自分の親父と同じくらいの年齢なんですけど、山や海の遊びを教えてくれる人です。
おじさんたちは暇なとき、本当に同じ世代で集まってるんですね。楽しそうに、毎日ゲラゲラと笑って。そんな輪に入りたいなぁって(笑)。
それぞれいろんな人が、いろんな遊びを知っている。みんなが山に入るんだけど、それぞれ行くポイントが違ったりする。山から戻ってきたらまた集まって、ゲラゲラ笑っている。そういう人たちが先輩として居てくれる。歳をとってもああいうふうになりたいなって思いますね」
採って、料理して、食卓を囲む楽しみを伝えていく
現在は大森町で妻と四人の子どもたちと暮らしている拓郎さん。早朝から夜遅くまで料理人としての修行に専念していた頃と、その暮らしぶりは変わった。
「休みの日は家族みんなで山や海で採集して、山に自生するクサイチゴでジャムを作ったり。……自然の中でよく遊んでるかなぁ。田舎に住んでみるまで知らなかったですけど、本当にお金がなくても生きていけるかもしれないと思えるくらい山には食べられるものがあるし、たとえなくても、この町の人がお野菜をくれたりする。それこそ狩猟免許を取ったので冬に猪を獲ったらしばらく食べていけます」
子育てをする余裕もなかった拓郎さんは今や子どもたちと食材を採って一緒に料理をし、食卓を囲むようになった。
「自分が台所に立っていると子どもたちが『一緒にやりたい!』って言うので、このあいだは息子と一緒に初めて焼き鳥を串打ちしたんですよ。串打ちのやり方なんて教えたことはないのに、息子がすごく上手で、普段からよく見てるんでしょうね。
僕は移住者だけどこの町の人たちに山や海で採ってきて料理して食卓を囲む楽しみを教えてもらいました。これからは僕も伝えていきたいと思っています 」